退職予告を受けたのは1か月前。
在職していて引き抜いた元同僚などで構成された優秀なチームだったのに、状況は急変しました。
チームを知っている皆は、それを聞いた皆が、解散は馬鹿げた決断だ、と言います。
私は早期に就職先を見つけることはできるかも知れませんが、このチームのリーダーとして、私なりの責任を負う意味で、皆の安定先が決まってから身を固めようと思っています。
刻々と時間は流れ、残りの仕事は十数日となりました。
心身的にも複雑な日々から、3月は退職を公表できることで、ある意味で気持ちが吹っ切れていくのかな、とも思っています。
今までお世話になった方々にきちんとご挨拶をして(今回の仕事の)お別れをしたい、と思い行動スケジュールを組む時に、ある得意先の責任者からは尿路結石で入院するんだ、というお話をお聞きしました。
私「手術しなくても、薬で結石をどうにかできないんですか?」
「もう、薬ではできないくらいなんだって。だからしばらく入院するからさ・・・」
私「いつもすごくお忙しい感じだったから。トイレもすごく我慢されて仕事していたんじゃありませんか?」
「そう、トイレなかなか行くこともできず、毎日我慢していたんだ」
そんなことがきっかけで、今日は「仕事」というテーマに、考えることが増幅してしまいました。
だから勇気をもって、仕事に対する私の思いを綴りたいと思います。
退職予告を受けてからというもの、positiveな日記を綴ります、なんてbrogの表題に掲げながら、どうしてもネガティヴな思いに心が支配されがちです。
どんなふうに伝えたらこの心理をわかって貰えるんだろう?と考えた時、こんな例えかもしれません。
相思相愛で2年以上付き合ってた、双方のお互いに近い方が代理で、ある日私に一方的にこんなことを言う。
「山咲さんのお相手は、今までの交際はなかったことにしましょう」という伝言です。
「詳細について。今後は別な方向性しか見えなくなったそうで、貴方やチームに負はありませんが、今までの指針はもうどうでもよくなったそうで、辛いかもしれませんが諦めて下さい。」とのことで、それ以上は私に聞かれてもわかりません。
そんな感じ。
働くことは自信も成長できるし、生活の質も向上でき、沢山の方と交流できたりと素敵なこともあるから一生懸命相手の望む指示に合わせて自分を頑張って変えたり努力したりしますよね。
家庭は、皆で協力しあい、時には譲歩しながら、自分が自然体でいられる場所でありたいと思います。
でも「使い捨て」の仕事が増えたら、家庭や自分の体は安定できるのでしょうか?
仕事今まで頑張り過ぎたから少しだけゆっくりお休みなさい、会社から言われたとして皆心から休めるのかな?
今まで会社の重要な立場にいて、ある日退く日が来たら、その後は家庭が軸になるので、それまでの家族コミュニケーションが重要になりますよね。
どちらも私は経験したことがまだありません。
でもね、まずは働くことが賃金だけの問題じゃなくて、自己実現に将来性が見えないと、全体的に総じて経済が発展するようなエネルギーは生まれてこない、こんな気がします。
せっかくの限りあるこの体や精神があっても、この社会に流されても、自分の流儀を貫くのも、今の日本は大変なことになっている気がしてなりません。