四国の歩き遍路を決断したのは、2月下旬の事。
移動距離が長い出張で運転していると、考えることはいつも楽しいことを思い出すとか、とんでもないpositiveなひらめきが頭に飛び込んできて、それをどう行動に起こそうか考えるとか。
「今年のGWは繋げると10連休ですよね~」というアナウンスがラジオで流れ、何して過ごそうか?というのが始まりでした。
こんな思考回路で、私の発願が決まりました。
ひとりで過ごさなければならない。10連休可能→ジムと家の掃除で10連休?→NONO!今回のお休みは、やりがいのあることしたい。マイル貯まってる→遠くに行ってみよう。やりがいを感じられて、今まで時間がなくできないでいることは?→(答え)四国の歩き遍路→決定!
3月の第一週の1日で行動予定決定し、2日目で10日間の宿をすべて予約。
この時点で、満室だったのは、21番太龍寺のあとの送迎ありの素敵な感じの古民家風の宿。(残念!)
計画を立てるにあたり、歩き遍路は特にWEBでの情報が薄くて、brogなどの本音の情報が欲しかったのですが、なぜか望むような情報が得られませんでした。
何故なのか、公開を制限されているのでは?とも遍路中に聞いたりしました。
もしも私の経験がどなたかのお役に立てたらと思い、私なりに綴っていきたいと思います。
今回は、四国遍路1番から28番までを10日でまわりました。
荷物総量4.8キロ。
<持って行って一度も使わなかったもの>
ヘッドライト・徳島県マップ・お鈴
タオル・歯ブラシ(宿坊や宿に完備)
<途中必要になったもの、貰ったもの>
お杖・ライター
<必要だったもの>
日焼け止め(腕が焼けて水疱になった)
一言で「お遍路さん」といっても多種多様なスタイルがあるのが解りました。
歩き遍路、小走り遍路、走り遍路、自転車遍路、スポーツタイプ自転車遍路、バイク遍路、オープンカー遍路、車遍路、電車&バス遍路、ペット同行遍路。
宿泊のタイプも、宿坊中心派、民宿派、ホテルから派、野営派。
食事も、1泊2食つき、コンビニかスーパー、自炊。
今年は四国遍路で逆回りの年なので、逆回りが多かったように感じました。
私は正統派で行きたい思いから、1番からでしたが、逆回りの方々とお会いする機会が多かったです。
逆回りの歩き遍路さんは、凄いテンション高くて、皆気さくに声をかけてくれました。
「こんにちは。野営してるの?逆回りで野営してるけど、ほぼ僕と荷物の量変わんないね♪」とか「マップ同じだね。野営しながら逆回りしてるけど、そのマップ解りやすいから大丈夫だよ♪」とか。
ちょっとなごみの時間を頂きました。
大変を知っているからこそ、声をかけて下さるのでしょうが、野営&逆回りの皆様の共通点は、日焼けて体が引き締まっている&笑顔が爽やか&なぜお遍路しているのか理解できないほど堂々として、悩みなどありそうに見えない、のでした。
私の歩き遍路では、辛いこともありました。
私にとって一番は徳島から高知までの、32.5キロ。
お遍路さんの誰とも会わないし、雨が降ったりやんだりで、風が強くて空気感としては「ピューピュー、ヒューヒュー」という音のなかの歩きです。
檜の杖(軽量)を選んだ私は、杖が風で引っ張られて飛んでしまうのを抑えるのが大変。
雨対策のポンチョは素晴らしいのですが、ムシムシして暑くてへんな汗が出てきます。
そんな中で「私、何やっているの?」という気分になりました。
勝手に、自然に涙があふれてきます。(悲しい気もちではないのですが・・・)
二番目の辛さは、8日目から10日目の体調の変化でした。
毎日7~8時間重い荷物を背負って歩く中で、内臓が悲鳴を上げ始めたのです。
何か圧迫された結果でしょうか、1時間毎に尿意が迫ってきて、でも実際ほとんど出ないんです。コントロールできないのが辛かったです。
日常に戻ると、すぐになその症状なくなったのでやはり「圧迫」が原因だと思われますが、女性の体はデリケートなのだと。
精神的には強くても、構造的に男性と同じにはできないのだと思いました。
楽しいこともありました。
2番の宿坊に泊まると、宿坊で仲良くなった仲間たちと、その後の行程が、ほぼほぼ同じになるのです。
朝のお勤めを頂き朝食をとると、出発時間も対して大きく差が開くことなく、次のお寺で会う確率が高まるので、そこでまた再会の感動が増えます。
私の場合は、仲良くなった仲間がいて、10番まで一緒に歩き、13番で再会した時は二人でお酒を酌み交わしながら夜を語り合いました。
彼女の存在があって、歩き遍路の不安な心もだいぶ楽な気持ちになっていたと思います。
感謝しかありません。
28番まで、私が泊ってみて良かった宿ベスト3は・・・
1、金剛頂寺宿坊(お料理が凄く良いし、おかみさんの空海のお話が興味深い)
2、民宿「吉野」(まるで家族のような雰囲気で食事を頂け、情報交換できる。歩きのベテランさんが泊る確率が高いので、「焼山寺」克服へのアドバイスをここでGET!できる。ただし宿泊予約はお早めに)
3、薬王寺宿坊(温泉最高の癒し&リフレッシュ。お部屋から薬王寺の山門を眺めながら寛げる)
また、お遍路ルートの中で、感動したお店はひとつしかないです。
「うどん亭 八幡」の刺身。
いけすがあって、「イナダのお造り」コリコリしていて、これがイナダ?というくらい美味でした。うどんは普通な気もしました。
また、感動したことも多くありました。
2番極楽寺で夕食のテーブルでご一緒した車遍路の方が、ライターを下さり、朝の出発で「こんなに?」というくらい手を振って「頑張れ!」と見送って下さったこと。
10番藤井寺から藤井寺に向かう時、軽トラのおじさんが私と彼女にくれた、やけどするくらいあたたかい500円玉。
10番切幡寺から藤井寺に向かう時、ボランティアの方が、これからの焼山寺登頂に向けて、歩き方や急な対処法を教えてくれたからこそ、そのあとの太龍寺で歩けなくなった時、実践できたこと。
12番焼山寺で、前日宿泊の「民宿 吉野」で食事をご一緒した方が、私の焼山寺登頂を待っていて下さり、写真を撮ったこと。
16番観音寺で、自転車のおとこの子が「お遍路さん♪」といって小さな手に握った飴をくれたこと。
16番観音寺付近で、途中立ち寄った場所に「お杖」を忘れたことに気がつき、途方に暮れていた時、車を停めて「頑張ってね」とジュースを下さった方。
13番大日寺に向かい途中、脚をひきずっていた私に「13番まで送る」と車を停めてくれた女性。
13番大日寺の途中までで道案内してくれた、心から優しくて仲の良いM夫妻。
20番鶴林寺に向かう、消防局のトイレを借りた後に頂いた、お嫁さんの着物で作ったポケットティシュ。地元では有名な方でした。
22番平等寺までの道のり、軽トラを停めて送ってくれたM氏。M氏は、自宅の浴槽を提供したり、歩き遍路さんを22番まで送ったりと、今まで何人ものお遍路さんの手助けをしてこられた方です。
その後「高知」に入りますが、高知は寺間の距離が長く、寺に登っては下りるということの繰り返しで、標識も少なく、まさに自分と不安と体の痛みとの戦いになります。
徳島では、優しく手を差し伸べてくれる方に恵まれ過ぎだった分、高知に入ってからは、本当に孤独な思いに打ちひしがれました。
最後に、先達さんたちのことを書きたいと思います。
私と何度か同行させて頂いたT先達には、たくさんの事を教えて頂きました。
金剛頂寺で宿泊が一緒だったY先達には、逆遍路のための貴重な行程表を頂きました。
先達と歩くことにより、学びも大きいです。
薬王寺から日和佐駅に乗り、甲浦駅から24番の最御崎寺へは電車を使った私の目の前に、先達が先頭に歩き遍路さんが二人もついていて堂々としていているのを見ました。
「歩き」から逃れて「電車」を使ってしまった私はその瞬間、ほんのわずかな罪悪感みたいなものを感じました。
だけど、10番切幡寺から藤井寺に向かう時、ボランティアの方が言ってたのを思い出しました。
「歩き遍路は辛いから、車遍路さんを楽だと思いますよね、だけど同じなんです。ご先祖さまからしたら、歩きだって車だって、ご供養頂いたことには、同じなんですよ。大変な思いで88箇所行ったから、高徳があるとかいうわけでは、あの世の世界ではないんです。「してくれたこと」が大事なんだから。」と。
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