今日は少し私自身の事を書いてみたいと思います。
テーマは、お墓問題です。
私には妹がひとりいますが、唐突にフランス人と夫婦になり、そちらで暮らしています。
妹は夫と同じカトリックにはなろうと思う気持ちはなかったため、夫の代々のお墓に入ることは許されず、妹にもしものことがあった場合は、夫や子供にフランスでの遺骨の処分をお願いしているそうです。
最期まで夫(彼)と共に生きていきたいと思うなら、カトリックの洗礼を受ければ?と諭したのですが、本人は聞き入れてくれません。
はあ。
私の父の祖先は、伊達藩につかえていた武士で、私の祖父は第二次世界大戦中には皇居の護衛に就き、戦後私の町に戻るも数年で亡くなりました。
伊達家の菩提寺は、伊達藩の4代目の藩主の伊達綱村が黄檗宗の僧を招いて開いた黄檗宗のお寺です。
そのため、父の親族は皆、黄檗宗になっています。
最近亡くなった父のお兄さんもまた、黄檗宗での葬儀がなされました。
父もその時が来れば、兄たち含め先祖と同じ黄檗宗での葬儀を望んでいるはずです。
私は西国三十三観音巡礼にあたり、三室戸寺巡礼の折に、奈良の宇治にある黄檗宗の総本山「萬寿寺」をお参り致しました。
四国巡礼を3回、西国巡礼を1回した私ですが、夫は真言宗高野山派で、巡礼を深めていく中で、私の中では真言宗に誇りを感じています。
だから、私の心は真言宗に寄り添っているわけなんです。
でも、私は長女ですから、いつか自分や両親の葬儀の方法を決めておかなければなりません。
苦しい選択ですが、私は真言宗、両親は黄檗宗なんて、たとえ墓地を作らないとしても、おかし過ぎます。
はあ。
それで考えました。
知らないから、想定にないんだと。
そこで父親の趣味の外出で母親が寂しくしている日に、私が昨年から真言宗の寺院で行われるお写経会に誘いました。(宗教問わずの会)
始めは母は素直にウンとはいかなかったのですが、私の夫も初めてだから同じよとお誘いし、何とか母と夫と私とで、お写経会に一緒に行くことができました。
筆ペンによる初めての写経で、歳も重ねた母にとっては大丈夫なのかと心配でしたが、できないなりに時間を楽しんだようで、「何とか書けたね」と母も夫も充足感があったようです。
お写経が終わってからの、お抹茶と京菓子も印象深かったようで、家に帰って皆で父にその話をすると「それでは、わたしも、次は行ってみようか」と。
まさかの、父の言葉。
私にとって、心から嬉しかったです。
父のご先祖さまには、本当に申し訳ない気持ちではありますが・・・。
普段両親とは一緒には住んでいないけど、もうお家を継ぐものもいないせつなさと、両親もその子供である私とその家族と、お互いに老いていく中で、最終的には皆同じ方向を向いていけたら、それが一番の理想だと思います。
私は、四国巡礼も西国巡礼も、今まで一緒に巡礼できない両親や夫も分も納め札を納めてきました。
それの気持ちがなんとはなく、両親の気持ちを動かしたのでしょうか?
ともかく、両親が健康で、会うたびに笑顔でお話しできることには、心から感謝しかありません。
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