山咲雛子の日記

毎日何かを好き☆と感じ、感謝して、頑張っています。時間が沢山あったら、ゆっくり自然の中で過ごしたいです♪旅もしたいな♪

東日本大震災 仙台市立荒浜小学校遺構

2020年07月05日 | ドライブ

2011年3月11日4時46分18秒に東日本大震災が起こりました。

もうすぐ10年が経つのですね。

私の人生の中では、この大震災が一つの区切りになっていて、震災前、震災後と記憶を整理しているところがあります。

日本周辺における観測史上最大の地震でした。

仙台市立荒浜小学校遺構に行ってみました。

外観は懐かしい校舎の形ですが。

体育館は無くなっていました。

二宮金次郎の銅像も、こんなさらし状態のまま。

あの2階の上くらいまで津波は押し寄せたのでしょう。

1Fの教室。

震災後はこんな感じだったのですね。

階段を上ると、また津波の傷跡が。

広範囲で東日本大震災は影響しました。

上の階に行くと、震災関係の書籍が読めるスペースもありました。

時間がそこで止まってしまったような教室。

この地域にこんなにたくさんの家があって、生活があったんだよね。

震災でそのすべてが一瞬で、無くなってしまったのです。

荒浜小学校は地震の後、避難所として使わました。

こんなスペースで家族が身を寄せて、この冷たい床の上で避難していたのですね。

仮設のトイレ。

ビデオ室で当時の地震の様子、避難してくる住民、津波のことが流れました。

心が締め付けられるくらい、苦しかった。

なんにも無くなったこの荒浜地区。

車で少し海岸に向かうと慰霊塔がありました。

この地区で亡くなった方々のお名前が刻まれています。

どんな気持ちで命を失ったのかと思うと、こんなにたくさんの方々が…と。

なんとも言えない気持ちになりました。

若かった頃、とても短い間でしたが、この荒浜でサーフィンをしていた時期があり、サーファーの仲間たちと砂浜でバーベキューをしたり、ほとんど地元のサーファーが多かったので、家飲みをしたりして楽しかった記憶しかないです。

本当に本当にバカ騒ぎして、家のお父さんやお母さんも優しくて。

津波で、そんなみんなの家、すっかり無くなってました。

怖かっただろうに。

悲しかっただろうに。

合掌。

海は昔のまま、凛として美しい海岸線です。

東日本大震災があって荒浜エリアは壊滅したけれど、みんなで過ごした若い日の楽しかった思い出は、今でも私の心で輝いています。

いつまでもあの日のまま。

 

 

 

 



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