2011年3月11日4時46分18秒に東日本大震災が起こりました。
もうすぐ10年が経つのですね。
私の人生の中では、この大震災が一つの区切りになっていて、震災前、震災後と記憶を整理しているところがあります。
日本周辺における観測史上最大の地震でした。
仙台市立荒浜小学校遺構に行ってみました。
外観は懐かしい校舎の形ですが。
体育館は無くなっていました。
二宮金次郎の銅像も、こんなさらし状態のまま。
あの2階の上くらいまで津波は押し寄せたのでしょう。
1Fの教室。
震災後はこんな感じだったのですね。
階段を上ると、また津波の傷跡が。
広範囲で東日本大震災は影響しました。
上の階に行くと、震災関係の書籍が読めるスペースもありました。
時間がそこで止まってしまったような教室。
この地域にこんなにたくさんの家があって、生活があったんだよね。
震災でそのすべてが一瞬で、無くなってしまったのです。
荒浜小学校は地震の後、避難所として使わました。
こんなスペースで家族が身を寄せて、この冷たい床の上で避難していたのですね。
仮設のトイレ。
ビデオ室で当時の地震の様子、避難してくる住民、津波のことが流れました。
心が締め付けられるくらい、苦しかった。
なんにも無くなったこの荒浜地区。
車で少し海岸に向かうと慰霊塔がありました。
この地区で亡くなった方々のお名前が刻まれています。
どんな気持ちで命を失ったのかと思うと、こんなにたくさんの方々が…と。
なんとも言えない気持ちになりました。
若かった頃、とても短い間でしたが、この荒浜でサーフィンをしていた時期があり、サーファーの仲間たちと砂浜でバーベキューをしたり、ほとんど地元のサーファーが多かったので、家飲みをしたりして楽しかった記憶しかないです。
本当に本当にバカ騒ぎして、家のお父さんやお母さんも優しくて。
津波で、そんなみんなの家、すっかり無くなってました。
怖かっただろうに。
悲しかっただろうに。
合掌。
海は昔のまま、凛として美しい海岸線です。
東日本大震災があって荒浜エリアは壊滅したけれど、みんなで過ごした若い日の楽しかった思い出は、今でも私の心で輝いています。
いつまでもあの日のまま。
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