風の数え方

私の身の回りのちょっとした出来事

義父の古切手

2004年11月12日 | 清水ともゑ帳
この春、義父は叙勲した。
私は勲章というのがよくわからないが、瑞宝単光章というものだそうだ。
義父が生前、まだ療養中のころ、どこかの業者から、分厚いカタログが何冊か届いていた。
内容は、叙勲したときの額とか、祝いの品、お返しに使う品などが掲載されている。
そのときは、家族みんな、まさか義父が勲章を授与するなんて思っていなかったので、70代になった人たちに適当にカタログを送りつける商売があるのだと思っていた。
そして、世の中にはいろんな業種があるものだと笑いながら、あまり中身も見ず放っておいた。
あとになってわかったことに、カタログが入っていた封筒の中には、政府官報のコピーが入っており、業者は叙勲者と知っての送付だったらしい。
義父の他界後、勲章と賞状が届いた。
勲章は漆のケースに入っていた。
そして、賞状には菊のご紋と小泉首相の毛筆のサインがあった。
最初は興味がなかった私も、さすがにそれには「すご~い」と何度も見入ってしまった。
そうなると、じわじわと自分のことのようにうれしくなるし、自慢もしたくなった。
何人かにはそのことを話したのだけど、たぶん私はすごく鼻にかけていて嫌な感じだったのだろう。
「そんなのは名誉欲の何ものでもない。世の中には勲章をもらわなくても立派な人はいっぱいいる」ときっぱり言われた。
以後、私は義父の叙勲のことは身内だけの喜びにしようと決め、誰にも言わなかった。

先月、夫の実家の家屋解体に伴い、義父の遺品の整理をした。
そのときに、たくさんの年賀状や手紙とともに、封筒がたくさん出てきた。
封筒の表書きには、「切手500枚」とか「切手1000枚」と書かれていた。
それぞれを開けてみると、切り取られた古切手が入っていた。
義父は丹念に切り取っては、500枚、1000枚と数えて封筒に分け入れていたのだろう。
きっとボランティアに使うつもりだったのだと思うと、私はふいにあふれた涙をおさえられなくなった。
家族の誰も、義父がこつこつと古切手を集めていたとは知らなかった。
義父の叙勲は長年の公務員としての功労が認められたものらしいが、私には義父は公務員というより公僕というほうが似合っていたと思う。
義父もきっとそうありたいと思っていたのではないか。
古切手はいかにもそんな義父の社会への貢献の姿を物語っているような気がした。
外で生真面目に働く分、家庭にあってはお酒で荒れて家族をずいぶん悲しませてきたという義父だが、やはり国からの勲章はふさわしかったような気がしている。

大きな紙袋いっぱいになった古切手を、夫と私は家に持ち帰った。
マンションの掲示板に小学生が描いた「古切手を集めてます」のポスターが貼ってあるからだ。
義父の遺志を、未来ある彼らに託し役立ててもらえたらと願っている。




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