1999年
今年の帝京大は「エース不在」と言われていた。全日本も経験した大車輪の活躍をした愛敬ら、リーグ戦経験者がゴッソリ卒業したからだ。愛敬がずっと着けていたエースナンバー「18」は当然ながら空き番となった。帝京大での背番号の選択は、本人の意思が尊重されている。だが、窪田はあえて「18」を選ぶ。「エースナンバーに恥じない投球をしなければいけない」ラストイヤーに期する思いから、自ら重圧のかかる状況に飛び込んだのだった。1月に藤川正博新監督が就任し、投手陣は全員横並びのスタートを切った。「エース不在」を打開しようと、投手出身の藤川監督による懸命の育成が始まる。「シャドーピッチング、一日千回」、そして「フォークの練習」が投手全員に義務づけられた。窪田も目の色を変えて取り組んだ結果、フォームが固まり、フォーク習得で投球の幅も広がる。さらに、大きな課題だった制球難も克服された。窪田のひたむきな姿勢と、140㌔を超える力のあるボールに惚れ込んだ藤川監督は、オープン戦でチャンスを与えた。春のリーグ開幕直前の東京ガス戦では、敗戦投手ながら2安打完投。藤川監督も窪田に信頼を寄せ、満を持して開幕投手に指名したのである。新エース誕生の効果でチームは3位に躍進、窪田は4勝(うち完投3)を挙げた。実績のなかった男が、エースナンバー「18」を背負い、背番号に恥じぬ成績を残したのだった。
145㌔の速球とスライダーが武器。市銚子高時代、広島・長谷川の控え。
「強気」を座右の銘に掲げた窪田が、江藤、清原切りを宣言。「内を突くのが僕の持ち味。たとえ誰に文句を言われても、怖くはない。決め球のシュートを生かしたい」と真っ向から勝負を挑む決意。「江藤さん、清原さんにもどんどん内角に投げます」と、打倒巨人に向けてキバを向いた。
2000年
わずか2イニングで、無名の新人右腕・窪田が有望な若手へと変身した。四回、先発・杉山の後を受けてマウンドへと向かった。先頭のバトルは、ドン詰まりの二飛。八木に中越え二塁打を浴びたが、後続を断って零封スタート。圧巻は、五回の投球だ。高波を二飛に打ち取ったあと、吉本は空振り三振。続く坪井は見逃し三振に斬ってとった。ボールゾーンから外角いっぱいに決まった得意のスライダー。阪神の誇る安打製造機は、バットを一瞬、ピクリと動かすことしかできなかった。華々しい球歴の持ち主ではない。市銚子高時代は広島・長谷川の控えだった。大学でも初登板は四年生春と遅咲き。しかしここからの急成長を遂げ秋にはMAX145㌔をマークし、阪神のスカウトの目に留まった。偵察に訪れていたヤクルト・片岡スコアラーも、この日の最大の発見として、この好投を挙げた。「全体的に力強い。変化球がいいね。拾いものじゃないか」と驚きの色を隠さない。八木沢投手コーチも「力のある球だった。一度じゃなくて、何回も見たい。オープン戦で投げさせても面白いね」と高い評価を下した。「ストレートはまだ早くなると思う。145㌔は常時出せるようにしたいですね。目標は開幕一軍。まず一軍の試合に出ないと。そこからが勝負です」と力強く言い切った。
坪井が窪田の実力を認めた。五回の第三打席。カウント2-2からのスライダーに見逃し三振に倒れた。「スライダーが切れていた。真っすぐより、変化球がいいんじゃないですか。球がキレていたから見逃してしまった。新人らしからぬ球を投げますよ」紅白戦では過去2試合、2安打していた好調男も素直に脱帽した。
今年の帝京大は「エース不在」と言われていた。全日本も経験した大車輪の活躍をした愛敬ら、リーグ戦経験者がゴッソリ卒業したからだ。愛敬がずっと着けていたエースナンバー「18」は当然ながら空き番となった。帝京大での背番号の選択は、本人の意思が尊重されている。だが、窪田はあえて「18」を選ぶ。「エースナンバーに恥じない投球をしなければいけない」ラストイヤーに期する思いから、自ら重圧のかかる状況に飛び込んだのだった。1月に藤川正博新監督が就任し、投手陣は全員横並びのスタートを切った。「エース不在」を打開しようと、投手出身の藤川監督による懸命の育成が始まる。「シャドーピッチング、一日千回」、そして「フォークの練習」が投手全員に義務づけられた。窪田も目の色を変えて取り組んだ結果、フォームが固まり、フォーク習得で投球の幅も広がる。さらに、大きな課題だった制球難も克服された。窪田のひたむきな姿勢と、140㌔を超える力のあるボールに惚れ込んだ藤川監督は、オープン戦でチャンスを与えた。春のリーグ開幕直前の東京ガス戦では、敗戦投手ながら2安打完投。藤川監督も窪田に信頼を寄せ、満を持して開幕投手に指名したのである。新エース誕生の効果でチームは3位に躍進、窪田は4勝(うち完投3)を挙げた。実績のなかった男が、エースナンバー「18」を背負い、背番号に恥じぬ成績を残したのだった。
145㌔の速球とスライダーが武器。市銚子高時代、広島・長谷川の控え。
「強気」を座右の銘に掲げた窪田が、江藤、清原切りを宣言。「内を突くのが僕の持ち味。たとえ誰に文句を言われても、怖くはない。決め球のシュートを生かしたい」と真っ向から勝負を挑む決意。「江藤さん、清原さんにもどんどん内角に投げます」と、打倒巨人に向けてキバを向いた。
2000年
わずか2イニングで、無名の新人右腕・窪田が有望な若手へと変身した。四回、先発・杉山の後を受けてマウンドへと向かった。先頭のバトルは、ドン詰まりの二飛。八木に中越え二塁打を浴びたが、後続を断って零封スタート。圧巻は、五回の投球だ。高波を二飛に打ち取ったあと、吉本は空振り三振。続く坪井は見逃し三振に斬ってとった。ボールゾーンから外角いっぱいに決まった得意のスライダー。阪神の誇る安打製造機は、バットを一瞬、ピクリと動かすことしかできなかった。華々しい球歴の持ち主ではない。市銚子高時代は広島・長谷川の控えだった。大学でも初登板は四年生春と遅咲き。しかしここからの急成長を遂げ秋にはMAX145㌔をマークし、阪神のスカウトの目に留まった。偵察に訪れていたヤクルト・片岡スコアラーも、この日の最大の発見として、この好投を挙げた。「全体的に力強い。変化球がいいね。拾いものじゃないか」と驚きの色を隠さない。八木沢投手コーチも「力のある球だった。一度じゃなくて、何回も見たい。オープン戦で投げさせても面白いね」と高い評価を下した。「ストレートはまだ早くなると思う。145㌔は常時出せるようにしたいですね。目標は開幕一軍。まず一軍の試合に出ないと。そこからが勝負です」と力強く言い切った。
坪井が窪田の実力を認めた。五回の第三打席。カウント2-2からのスライダーに見逃し三振に倒れた。「スライダーが切れていた。真っすぐより、変化球がいいんじゃないですか。球がキレていたから見逃してしまった。新人らしからぬ球を投げますよ」紅白戦では過去2試合、2安打していた好調男も素直に脱帽した。