プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

窪田淳

2024-12-11 09:24:53 | 日記
1999年
今年の帝京大は「エース不在」と言われていた。全日本も経験した大車輪の活躍をした愛敬ら、リーグ戦経験者がゴッソリ卒業したからだ。愛敬がずっと着けていたエースナンバー「18」は当然ながら空き番となった。帝京大での背番号の選択は、本人の意思が尊重されている。だが、窪田はあえて「18」を選ぶ。「エースナンバーに恥じない投球をしなければいけない」ラストイヤーに期する思いから、自ら重圧のかかる状況に飛び込んだのだった。1月に藤川正博新監督が就任し、投手陣は全員横並びのスタートを切った。「エース不在」を打開しようと、投手出身の藤川監督による懸命の育成が始まる。「シャドーピッチング、一日千回」、そして「フォークの練習」が投手全員に義務づけられた。窪田も目の色を変えて取り組んだ結果、フォームが固まり、フォーク習得で投球の幅も広がる。さらに、大きな課題だった制球難も克服された。窪田のひたむきな姿勢と、140㌔を超える力のあるボールに惚れ込んだ藤川監督は、オープン戦でチャンスを与えた。春のリーグ開幕直前の東京ガス戦では、敗戦投手ながら2安打完投。藤川監督も窪田に信頼を寄せ、満を持して開幕投手に指名したのである。新エース誕生の効果でチームは3位に躍進、窪田は4勝(うち完投3)を挙げた。実績のなかった男が、エースナンバー「18」を背負い、背番号に恥じぬ成績を残したのだった。


145㌔の速球とスライダーが武器。市銚子高時代、広島・長谷川の控え。


「強気」を座右の銘に掲げた窪田が、江藤、清原切りを宣言。「内を突くのが僕の持ち味。たとえ誰に文句を言われても、怖くはない。決め球のシュートを生かしたい」と真っ向から勝負を挑む決意。「江藤さん、清原さんにもどんどん内角に投げます」と、打倒巨人に向けてキバを向いた。


2000年


わずか2イニングで、無名の新人右腕・窪田が有望な若手へと変身した。四回、先発・杉山の後を受けてマウンドへと向かった。先頭のバトルは、ドン詰まりの二飛。八木に中越え二塁打を浴びたが、後続を断って零封スタート。圧巻は、五回の投球だ。高波を二飛に打ち取ったあと、吉本は空振り三振。続く坪井は見逃し三振に斬ってとった。ボールゾーンから外角いっぱいに決まった得意のスライダー。阪神の誇る安打製造機は、バットを一瞬、ピクリと動かすことしかできなかった。華々しい球歴の持ち主ではない。市銚子高時代は広島・長谷川の控えだった。大学でも初登板は四年生春と遅咲き。しかしここからの急成長を遂げ秋にはMAX145㌔をマークし、阪神のスカウトの目に留まった。偵察に訪れていたヤクルト・片岡スコアラーも、この日の最大の発見として、この好投を挙げた。「全体的に力強い。変化球がいいね。拾いものじゃないか」と驚きの色を隠さない。八木沢投手コーチも「力のある球だった。一度じゃなくて、何回も見たい。オープン戦で投げさせても面白いね」と高い評価を下した。「ストレートはまだ早くなると思う。145㌔は常時出せるようにしたいですね。目標は開幕一軍。まず一軍の試合に出ないと。そこからが勝負です」と力強く言い切った。


坪井が窪田の実力を認めた。五回の第三打席。カウント2-2からのスライダーに見逃し三振に倒れた。「スライダーが切れていた。真っすぐより、変化球がいいんじゃないですか。球がキレていたから見逃してしまった。新人らしからぬ球を投げますよ」紅白戦では過去2試合、2安打していた好調男も素直に脱帽した。

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ラミレズ

2024-12-11 08:51:51 | 日記
2000年
ハンセルに続いてマウンドに上がったのが、左腕の新外国人ラミレズ。八木、今岡、タラスコに対して61球。そのうち安打性の打球は5本と初登板はまずまずの内容。左の中込。見た目以上に打ちづらいのが、右打者に内角に入って来る真っスラだ。バットをヘシ折られた八木も「真っスラで入って来るから、右バッターに厄介な球だよ」と、思わず苦笑した。ブルペン以外で初めて上がった日本のマウンド。軟らかい土質と少ない傾斜に「慣れる必要がある」とラミレズは課題を口にしたが「チェンジアップ、カーブ、シンカーも投げたけど、真っすぐのコントロールがピッチャーには大事。外角、内角、真ん中と投げ込んでみたんだ」とひとまず納得。威圧感は薄いものの、まずは実戦派ぶりをアピールした。


来日初の実戦マウンドとなるラミレズが紅組先発で2回を1安打無失点に抑えた。ブルペンとは見違えるほどキレがあった。「実戦向きだね」八木沢投手コーチも太鼓判を押した。外国人投手3人の中でただ一人、首脳陣も評価しかねていたラミレズが初登板で結果を残した。1回、いきなり先頭打者の和田を微妙に変化する球で一飛に仕留めると、二回には広沢から内角をえぐるカーブで三振を奪い、最後は直球で吉田浩のバットをへし折った。「カーブやスライダーは右打者の内角を攻めるのに有効。外へはチェンジアップ。一方、左打者対策にいいのが内角に突く直球だよ」腕の振りも上からと横手気味の2種類ある。


雨が降りしきる天候と同様、阪神で先発した新外国人投手、ラミレズがお寒いピッチングを展開してしまった。「ボールとストライクがはっきりしていた」とラミレズ。バッテリーを組んだ矢野も「ボール、ボールと先行しては、ね」と渋い顔。期待のラミレズがこの調子では、野村監督も「難しいね、ランナーがいると、ひやひやする」と機嫌が悪くなるのも当然のこと。ラミレズは「きょうはシンカーを投げていないしね」と余裕の表情だったが、ハンセル、ミラーとともに争う外国人投手枠の兼ね合いもある。


打たせて取る実戦派タイプ。多彩な変化球だけでなく、左腕の角度をオーバー、スリークォーターと使い分ける変幻自在投法で、微妙なテクニックを隠し持っている。制球力、威圧感に少々かけるが、実戦を経験すれば大化けの期待もかかる。


ストレートはMAXでも144㌔程度。といってもコントロールが特にいいわけでもありません。ただ、スライダーとチェンジアップを中心とした変化球は多彩です。メイに代わる左の先発とのこと。ロングリリーフが限界でしょうかね。

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窪田淳

2024-12-09 15:10:11 | 日記
2000年
ドラフト6位の窪田が紅白戦に初登板。八木に中越え二塁打を許したものの、2回を投げ1安打2奪三振という結果に「今の時期は内容が大事だが、ゼロに抑えられたのは大きい」と好投を喜んでいた。他球団のスコアラーも「あの選手は拾い物だろう。スライダー、チェンジアップなどの変化球がいいね」と注目していた。


ドラフト6位の窪田(帝京大)が紅白戦初登板で存在感をアピールした。レギュラーがそろう紅組相手に2回を1安打無失点。速球と切れのあるスライダーが武器の新人右腕は「結果的にゼロに抑えれたのは自信になる。スピードにはこだわっていきたい」と笑顔で話した。

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カーライル

2024-12-07 16:07:51 | 日記
2001年
沖縄・宮古島から前日(15日)合流した新外国人のカーライルが野村監督ら一軍首脳陣の前で、初めてピッチングを行った。直球やチェンジアップ、カーブを交えて53球を投げ、途中からはボールカウントを設定するなど実戦を設定。

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ラミレズ

2024-12-07 16:05:54 | 日記
2000年


阪神の新外国人左腕、ラミレズが持ち味を発揮し5回を4安打無失点。緩いカーブを有効に使った。
阪神が5連勝。ラミレズは打者の手元で微妙に変化する球を有効に使い、五回まで二塁を踏ませず、七回無死満塁のピンチも1失点でしのぎ初勝利。


「バックを信頼してゴロを打たせることだけを考えた」とラミレズ。持てる球種を低めに集めて凡打の山を築く。とりわけ、ベースを横切っていく、チェンジアップが有効だった。7回を1失点に抑えて初勝利。

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ハンセル

2024-12-07 16:02:28 | 日記
2000年
ハンセルはチェンジアップ、スライダーを交えて85球。「得意の球は直球。94マイル(約150㌔)は出る」と話しており、「これからスピードを上げていくよ」


制球を乱し、自らの心も乱してしまう姿はなかった。軽快なリズム。ハンセルが変身した。常にストライクが先行する。速球149㌔、チェンジアップ114㌔。球速差35㌔の緩急の投球がさえ渡った。


2001年


立浪がハンセルのカーブをピッタリのタイミングでとられた一打が決勝の三塁打となった。

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ラミレズ

2024-12-07 08:31:57 | 日記
2000年
ハンセルより評価が高いのが左腕のロベルト・ラミレズ投手(27)=前ロッキーズ。V旅行でラスベガスを訪れていた中日・星野監督も「あの投手はいいらしいな」と太鼓判を押した。成績はメジャー通算53試合で2勝5敗1セーブ、防御率7.69と今一つだが、最速149キロの直球にカーブ、スライダー、チェンジアップ、シンカーと多彩な球種を持ち、日本向き。

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渋谷幸春

2024-12-06 23:10:17 | 日記
1970年
中日のことし大洋に不思議なくらい勝てなかった。これまで七試合に延べ二十四人が登板しながら、勝利を得たのは三回戦で六回までがんばった若生ただ一人。失点の合計がなんと38点。一試合平均5点以上を奪われた勘定になるのだから、これでは勝てっこなかった。ところが、このカードでプロ入り初先発した渋谷は、あれよあれよと見る間に六回まで大洋打線を散発3安打に押え、待望のプロ入り初勝利を飾った。渋谷は昨秋のドラフト8位。ノンプロ四国電力から中日入りした投手だ。この日は得意のカーブが実にさえていた。ネット裏では大洋の打者がタイミングが合わず、へんてこりんなフォームでから振りすると「いまのはスライダーかな、いやカーブじゃないかな」とさかんに首をひねった。渋谷の投法は決してスマートとはいえない。上体が前に突っ込んで腰が早く開き、タマはからだとはかなり離れたところから出てくる。そして右打者の内角にはいるカーブは、スッポ抜けかハチ巻き気味。だから一瞬打者はうしろに腰を引いてしまう。次には真ん中から外角へブレーキのあるカーブが決まるので、大洋の打者はねらいダマの選定にみんな迷っていた感じだった。三回あたりから降り出した雨と汗で渋谷のユニホームはズブぬれだった。でも、六回まで球威は全然落ちなかった。


「てっきり延長戦かと思っていたんですよ」九回表、味方打線が難攻不落とみえた大石から待望の決勝点を奪い、すんなり3勝目をちょうだいした渋谷は、水原監督以下ほとんどの全選手から祝福の拍手を浴びても信じきれない表情。「試合前、きょうはわしのリードにまかせろと木俣さんにいわれて、その通りに投げただけです。だけど自分でもカーブや落ちるタマがよかったし、スピードがいつもよりありましたからね」と新人ばなれの度胸が売り物の渋谷もたくさんの報道陣に囲まれ盛んにテレながらポツリ、ポツリと話す。黙々と好投を続けるマウンド上の渋谷は自信にあふれているようだ。奪った三振8個、四球なし、ヒットを除いて外野フライを許したのは九回水谷の中飛だけ、渋谷の出来がよかったのかがわかる。「やっと待望の1勝ですよ。さあこれからバリバリやりますよ」と景気のよいことばで結んだころが、いかにも若さいっぱいの渋谷らしかった。


広島は初回中日・渋谷の立ち上がりを攻め三村・国貞の長短であざやかに先行した。トップ三村が右翼線に二塁打したあと、国貞は0-2からの内角シュートをうまくおっつけ高木守の左を破った。渋谷は三回にも二死から国貞、山本浩の連続ヒットを浴び、あぶない場面があったが、山本一を二ゴロに打ち取りピンチを脱出。そのほかは五回まで毎回三振を奪う好投、得意の外角カーブとシュートをフルに生かして見事に立ち直った。


1971年


渋谷が巨人に投勝った。1回はきわどいコースの球が決まらず、3四球と高田の二塁打、犠飛などで2点をとられたが、二回以後は立直って巨人の追加点を許さなかった。全般に投球数は多かったが、カーブ、スライダー、シュート、フォークボールを巧みに組み合わせて投げ、しかも徹底的に低目をついていたのがよかった。

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酒井光次郎

2024-12-06 22:45:25 | 日記
1989年
「阿波野さんと同じ背番号が欲しい」日本ハムのドラフト1位・酒井光次郎投手が、熱パの主役・近鉄阿波野と同じ栄光の「背番号14」を熱望した。「背番号?できるなら14番がいいです。僕にとっては、一番輝いて見える背番号ですから」阿波野との出会いは、松山商2年の時。当時、大学2年だった阿波野のいる亜大と合同練習をした。同じ左ということもあって、視線は自然に阿波野にそそがれる。「鮮烈でした。球が速いだけでなく、緩急の使い方が素晴らしいんです。あの人に金属バットは無力でした」肌で感じたザ・ピッチング。七つの球種を駆使する多彩な投球術の一つの原点となった。その時もらったグラブは宝物として、大学寮の自室に飾ってある。大学時代の実績では、既にあこがれびとを抜いている。阿波野が一度もできなかった大学選手権Vを3回、公式戦80回3分の1連続無失点という快記録も打ち立てた。エースナンバーではなく自ら選んだ「背番号14」を背負って。日本ハムでは現在「14」番は川原。14番熱望をナマイキに聞こえるが、阿波野と同じ土俵に上がれるという熱い思いがこう言わせる。「プロの世界で早くライバルと認識してもらいたい」七つの球種を持つ即戦力ルーキーは、パのエースに敢然と宣戦布告した。


1990年


近鉄野茂が「ミスターK」なら、日本ハムのドラフト1位は「ミスタークレバー」だ。身長172㌢の小さな左腕が、プロ初先発で、5安打1失点の完投勝利。一度も連打を許さない頭脳的な投球で、チームに今季初の3連勝をもたらした。「ルーキーに先発させる監督は勇気がいるものでしょ。それにこたえたかったんです」この冷静さ、だがこれくらいの落ち着きがなければ、最高速137㌔ではプロの打者を打ち取れない。100㌔台のカーブと120㌔台後半のスライダーを基本に、速球、シュートを巧みに組み合わせる。「けっこう甘い球があったのに。なぜかタイミングが合わない」とダイエー山本。ベテラン若菜の好リードも手伝って、ダイエー打線に的を絞らせなかった。「ちょっと勝利投手を意識しちゃって」という5回がピンチらしいピンチ。小川史に得意のカーブを適時打され、動揺するかと思えば、マウンドでこんなことを考えていた。「あれっ、オレ、ドキドキしている。そうか、これがいわゆる勝ちを急ぐ心理状態なんだ」戦っている最中でも、自分を冷静に見詰めていた。だが、意外に縁起をかつぐ一面もある。18日のダイエー戦でワンポイント登板したが、打者3人に対し2安打され2失点。そのとき使っていた赤いグラブに代え、この日は新しく黒のグラブを使った。「けっこう気にするタイプなんです」近藤監督が「素材の良さはキャンプで分かっていた。剛の野茂、柔の酒井をパの売り物にしたいね」と言えば、酒井も「日本ハムの1位は何やってんだ、と言われたくないですから」と指揮官の心情を察し、呼吸もピタリ。ミスタークレバーが、ロッテ小宮山、西武潮崎、近鉄野茂に続き、新人王争いに名乗りを上げた。


ルーキーの酒井がダイエーを封じ込んだ。4度目の完投勝利でプロ初完封。酒井は直球にカーブ、スライダーを交ぜてスピードに変化をつけた。2度三塁に走者を置いたが、2回は二ゴロ、4回は三振に仕留めた。打線は4回、2死二塁から古屋以下の3連打で2点。6回ウインタース、8回大島が本塁打して突き放した。ダイエーは酒井の球に狙いを絞り切れず今季チーム最小の2安打、凡打を繰り返した。


急ぐな!慌てるなよ!そればかりを念じてのマウンドだった。序盤から味方打線が着々と加点してくれる。自然とこみあげてくるプロ初完封への色気を必死に断ち切りながら、酒井は「大事に大事に」一球一球を投げ込み続けた。2試合連続のミスを、即戦力の評価を受けてドラフト1位入団した頭脳派左腕は、しっかりとピッチングの肥やしに変えていた。「すぐに勝ち急いで7、8回に点を取られてしまってましたからね」7月22日の西武戦では8回途中で、30日のオリックス戦でも7回終了でマウンドから下ろされた。試合前半は計算通りの投球をしながらツメの甘さが黒星を先行させてしまっていた。焦って根負けだけはするものか。そんな思いがボールに乗り移ったのは7回裏、ダイエーのベテラン有田との対決だった。ムシぶろのような登場。まさに胸突き八丁で迎えた1死一塁だった。2-1と追い込みながら有田は簡単に引き下がってくれない。力いっぱい投げても、曲げてもカットされる。7球連続ファウル。ジレる心を必死で殺して「それじゃあ思いっ切り、抜いた球でいってみよう」で、超スローカーブで勝負して三振切り。まさに急がば回れを地で行くパターンで、気がつけば感激の初完封勝利をその手に収めていた。

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面出哲志

2024-12-06 22:14:20 | 日記
1998年


阿部企業を経て昨年入社。球威のあるストレートとチェンジアップ気味に抜いたボールを武器にドラフト候補に名乗りを上げる。

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部坂俊之

2024-12-06 22:10:40 | 日記
1998年
昼食中、仲村監督から朗報を受けた。午後からは普段どおりに練習に参加。ドラフト会議がすべて終了するのを待って、阪神への思いを語った。「先輩の川尻さんもいますし、低迷していたヤクルトを強くした野村監督にも早く会いたいです」と心はすでにタテジマ。MAX143㌔のサイドスロー右腕。もちろん目標は即戦力として一軍のマウンドに立つことだ。


サイドスローから力のある直球と切れのよいスライダー。打者に向かっいく気迫の投球。


1999年


92年、横浜高のエースとして春の甲子園センバツ大会に出場するが1回戦敗退。亜細亜大ー東芝府中を経て入団。サイドハンドから繰り出す抜群の制球力と落差の大きいカーブが武器。181㌢、77㌔。


「右打者の内角を思い切って突くカーブとスライダーは、こちらをうならせるほどだよ」と阪神の岡田二軍監督が報道陣にドラフト4位の部坂俊之投手をPR。3試合に登板し2勝。投球回数15回で防御率2・40で防御率8位である。この部坂の課題はストレートのスピードアップ。安芸キャンプで142㌔をマークしたストレートは、最近は136㌔。このスピードが戻れば一軍入りも確実か。


全ウ・岡田監督の指名を受け、まずは先発の部坂が奮い立った。相手の先発は横浜高の後輩・矢野(横浜)。それだけになおさら負けるわけにはいかなかった。三塁ベンチ上からは母・陽子さん(52)ら家族が見つめている。そんな意地と、周囲の期待にこたえて、部坂はマウンドで踊りまくった。初回から直球とスライダーで全イ打線を寄せ付けない。三回二死・小田を二ゴロに仕留めた瞬間にはグラブをポンポンと叩いて笑顔を振りまいた。3回を1安打無失点。たった一人出した走者も盗塁を阻止して九人で責任イニングを終えると、優秀選手賞の五十万円が転がり込んできた。「自信になりました。課題の直球もファームでやってきたことが実戦できました」


負けたとはいえ、全ウの中でも特に阪神勢の活躍が目立った。その代表が先発した部坂だ。147㌔前後の速球を左打者の内角に投げ、3回を被安打がわずかに1本。きょうの内容をそのまま上に持っていっても、十分に通用する。サイドハンドの本格派という阪神にはいないタイプとあって、後半戦、野村監督のおメガネにかなう存在になるはずだ。課題は上体が突っ込む投球フォームだけに、腕が前でさばけず、緩い変化球が投げられないこと。これを修正すれば右打者には極めてやっかいな投手になる。また、シュート回転で落ちるフォークをもっと多投してもいい。とにかくこの日登板したピッチャーの中では、ピカイチの素材と言っていい。


2000年


2年目を迎えた野村阪神のキャンプで一軍抜擢を受けた期待株は部坂俊之だ。2試合目となる紅白戦のマウンドは、2月19日だった。3番手で登場した部坂。この日の登板では「考える投球」がひときわ目をひいた。前回の登板では、真っすぐとシュートのみでしのいでいる。そして、この日はスライダーもミックスして、打者をほんろうして見せた。「シュートで、バッターの体を起こすような感じで投げた」さらにスライダーを意識させることで、幅のあるピッチングを心掛け、結局、打者6人を無安打で片付け、2試合5イニングをパーフェクトに抑え込んだ。昨シーズンは一軍で16試合に登板するも勝ち星を得ることはできなかった。「今年は開幕から一軍に入って、上で勝たないといけませんから」キャンプで結果を出せたことは大きな自信となった。2年目の今季には、プロ初勝利をかけて臨むつもりでいる。

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ミラー

2024-12-06 21:39:55 | 日記
1999年
優勝請負人がやって来た。阪神の新外国人のカート・ミラー投手(26)が二十八日、関西空港着のNW機で来日した。「自分の持ち味は92マイル(約147㌔)のファストボール」力で押す本格派だが「制球にも自信がある」と来れば、いやが上にも期待は高まる。現在、申請中の就労ビザが取得でき次第、チームに合流。早ければ七月十六日の巨人3連戦で、そのベールを脱ぐ。背番号は「53」


黒のTシャツに、ジャケット姿で195㌢、100㌔の大男が関西空港に現れた。苦しい先発ローテに悲鳴を上げた野村監督が待ち望んでいた新外国人投手。おぼっちゃま風の優しい顔が、タテじまのユニホームにソデを通した途端、キリリと引き締まった。「チームが調子いいことは知っている。優勝できるよう助けるために来た。真っすぐとスライダーに自信があるんだ。その二つの球種は、いつでもストライクが取れる。真っすぐでも92㍄出るしね」うれしいことを言ってくれる。球威でグイグイ押すタイプの投手が少ない阪神にあって、147㌔右腕は何とも魅力的。カーブ、チェンジアップも操り、さらにコントロールも心配なしと来れば怖いものはない。90年にパイレーツからドラフト1位指名を受けた大器で、今季も開幕時にはカブスに所属し、4試合に登板した。その後、3Aのアイオワでプレーしていたが、昨年は同チームで先発として14勝3敗の好成績。「監督の指示に従うが、先発の方が得意分野なんだ」と、ローテ投手が一人でも欲しい野村阪神にはうってつけの存在だ。性格も意欲的だ。現在、就労ビザを申請中で、すぐにその剛腕を見られないのは残念だが「アパートを見たり、球場を見たりしたい」と、日本の環境、野球にひと足早く慣れようという思いからの来日。練習をこなしながら、就労ビザが取得でき次第、一時帰国。そして再来日し、チームに本格合流する。一軍枠をめぐってはメイ、リベラとの争いになるが、先発不足の事情から、リベラに代わってミラー起用が濃厚。「自分でコントロールできる問題ではない。ただ、ベストを出せばいい結果は出るよ」と自信ものぞかせた。約二週間後にもプレーできる予定で、その後は二軍戦での登板を経て、早かれば十六日からの巨人3連戦でベールを脱ぐ可能性もある。二十九日には誕生日を迎える野村監督と甲子園で初対面。「楽しみにしているよ」とミラー。期待通りの働きをすれば、これ以上ない誕生日プレゼントになる。

野村監督「見て使ってみないと何とも言えないが、まず二軍で山田に受けさせてみる。14勝3敗という昨年の成績だけが頼りだが、記録を見るとバラバラだね。二十六歳と若いのが魅力だ。末永編成部長さんの国際電話では、ファスト・カットボールが抜群らしい。球は速いと言ってなかったけど。(合流は)早くて来月十日、遅くても十五日ごろじゃないか」

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仁科時成

2024-12-05 15:50:47 | 日記
1981年
昨年開幕から好調に飛ばし、初の2ケタ勝利からチームで最高の勝ち星17勝をはじめ、勝利、防御率と文句のつけようのない活躍でロッテの前期優勝にも貢献度は最高だった。キレのよいアンダースローの右腕に磨きをかけ、体力の倍増に怠りなく練習に精を出している。(ロッテ選手会会長)

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郭李建夫

2024-12-05 15:43:45 | 日記
1993年
昨年のバルセロナ五輪で日本オリンピックチームを一蹴した、あの銀メダル右腕が猛虎軍団に加入。MAX150キロのストレートは、Vへの使者として首脳陣も絶賛。マウンド上の雄姿に注目したい。


1997年

五輪イヤーの昨年は、バルセロナの銀腕が底力を発揮。春先に完封勝利を挙げるや、抜群の安定感でリリーフに転向。8勝15セーブで虎の新・守護神に成長した。オフには、大リーグのドジャーズからの照会もありファンの気を揉ませたが、それも実力の証。心配された右ヒジの疲労も、古郷台湾のハリ治療で回復。開花した頼もしい助っ人は、今季も甲子園のマウンドで必勝を誓う。

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新浦壽夫

2024-12-05 15:21:41 | 日記
1978年
ベビーも誕生した。外車も買った。結婚を機に開花した大器は、さらに一家の主としての責任が重くなった。同時に名実ともにチームの大黒柱に、セリーグ№1の左腕投手へ踏み出すシーズンだ。防御率第一位のタイトルは渡せないし「大リーグでも十分通じる球威」(ライト投手)からすれば、もっと勲章を加えても不思議ではない。「やりますよ。みていてください」おとなしかったカッパ君は意欲的だ。乞うご期待。


1979年


昨年誕生したベビーに大蔵と名づけた。「将来、お金持ちになるように」との願いがこめられている。それよりパパの方が金持ちになるのが早道だろう。昨年は防御率一位・セーブ・ポイント王になった。先発完投を目指す今年は最多勝タイトルも夢ではない。「ピッチングはより大きくします。優勝のために1勝でも多く上積みしたい」と左のエースは自覚を深めている。今年、自責点が少なければ、史上初の3年連続防御率1位だ。


1989年


88年7月18日、巨人16回戦(横浜)ー。プロ21年目で通算100勝を達成した。「この世界に入って100勝して初めて一人前の投手になれるんだ、という目標でやってきたんだ」と新浦。人には語り尽くせぬ苦労の末に、つかんだ記録だった。そして22年目。七色の変化球を駆使する投球は今季も冴えわたる。先発は任せろ!

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