1988年
渡辺は北陽高時代、同じ大阪にPL学園の桑田がいたため、甲子園大会出場はならなかった。しかし、184㌢、79㌔の長身から投げおろす直球の威力は魅力十分。その素質は桑田以上と評価されていた投手である。ところが、1年目に体が出来ないままシーズンに突入。張り切り過ぎからくる無理がたたって肩を痛めた。これが予想外に重傷で、ボールが投げられない状態まで悪化した。それまで素質だけで野球をやってきた。渡辺がぶつかった第一関門だった。そこで一昨年、アメリカ遠征中に左肩を手術し、昨年は復活を目指したが、ピッチがあがらず足踏み状態。そして、今年はリリーフ要員として登板。しかし、2年間のブランクは大きく、5月3日現在、3試合に登板し、3回2/3を2失点と、まだ結果は出ていない。関本投手コーチは「練習のときのピッチングが、ゲームでは70~80㌫くらしか出てない。ブルペンでいいと思って出しても、腕の振りが急に小さくなる。いまは、大きくステップを広げたままの姿勢から投球させて、下半身のリードでボールを投げさせる練習をさせている」と素質を十分に生かしきれない渡辺に、もどかしさも感じているようだ。投球フォームを見ても、体重の移動が早いので、腕だけのピッチングになりがちだ。いい投手は腕がムチのようにしなってくるが、渡辺はスナップスローのように手首の強さだけに頼っている。本来の渡辺は、広島の川口投手のようなタイプで、足をあげながら相手の打者の様子をうかがい、体をバネのように使って、クロスファイアー気味にピシリと直球を決める。ところが、その足の引きつけが弱いため、自分のイメージ通りの球が、いかない。「ライバルの桑田とはちょっと離されたね」のイジワルな質問に、「少しどころではないですよ。桑田はエースだし、ボクはまだ一軍へもいけないんだから。でも自分はこうなったら自分のペースで進みますよ」と開き直りの精神で、しかしライバルを遠く目標に定めているようだ。しかし4年目といえば、来年は大学へ行った仲間がドラフトで入ってくる。プロに入ったからには学生と違った、勝負に対する執念をピッチングに出さないとダメだ。現在、左腕のライバルである宮本、松原を追い落とす気持ちを持たないと、いくら左腕不足の巨人軍でも生きていけない。相手をねじ伏せるパワーがなければ、ぶつけてもヒットは打たせないという気迫が必要だ。そろそろ大器が目ざめてもいい頃なのだが…。
1990年
安定した一軍投手陣の中に割って入るのは容易ではないが、「左腕」ということもあり、その1番手に挙げられるのは渡辺政仁投手だ。昨秋のパームスプリングス・キャンプのメンバーにも抜テキされた期待の星は、今季も7勝(うち5完投勝利)を挙げて力のあるところを見せつけた。「来年は6年目だし、そろそろやらないと…。一軍には(左腕が)宮本さんと吉田さんしかいないので、チャンスだと思っています」と渡辺。入団当時から「素質は桑田より上」といわれ続けた逸材は、もう一人の先発左腕として巨人投手陣の中で来季は注目を浴びそうな気配だ。