1954年
浜崎前監督に見込まれて入団、新人軍で活躍している、シュート、カーブがいいが、チェンジ・オブ・ペースに一工夫。
1954年
ドロップ、カーブを多投しタイミングをはずす呼吸がうまい。
1955年
コントロールなく一本調子な投球ではまだまだだが将来性はある。
1975年
「どこって、特に目立つ欠点がないのです。ファームの選手の中では群を抜いていましたよ」中山投手を一軍へ推薦した中村コーチは、そういって我が事のように胸を張った。欠点のない投手ーこれが中山投手だ。社会人野球で鳴らした、きれいなフォーム、内外角にきちっとコントロールされたカーブ、シュート、シンカー。「有力な中継ぎ投手。いや、先発投手だ…」うなった長島監督は定岡投手と共に、この中山投手をベロビーチ・キャンプのメンバー組み入れた。
1975年
社会人野球出身の投手らしく、整ったフォームでカーブ、シュートを投げ分けていた塩月勝義投手(22=協和醗酵防府)は、入団早々、ヤング・ジャイアンツの王様になったという。太目で名高い阪神の江夏投手を右投手にしたような感じだから、威風堂々としている。合宿入りする時、念のため体重を調べたら「90㌔以上もあり…」新任の武宮寮長をあ然とさせたというエピソードがある。現在の登録体重?は80㌔。ジャイアンツの選手で80㌔以上あるのは、福田コーチ(85㌔)、横山投手(80㌔)、倉田投手(81㌔)、西村内野手(81㌔)、原田外野手(80㌔)の五人だから、塩月投手の王様ぶりは想像がつく、スマートになった時、この投手は中継ぎ、押え投手として鮮やかなデビューを見せる。