プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

オルセン

2024-07-14 10:14:22 | 日記
1983年
味方打線の6ホーマーに援護されての、オルセンの初勝利だった。これで阪神の先発要員が一枚増えたことは間違いないだろう。だが、いま明らかなのは先発投手が増えたという事実だけで、この助っ人投手が救世主的な存在になれるかというと、まだ疑問だ。それはオルセンがいくつかの弱点を持っているからだ。その一つが、来日当時から懸念されていた投球後、一塁方向に大きく崩れる体だ。この夜、改めてクローズアップされた。ヤクルトは、崩れる体を狙って三度プッシュバントを試みた。そのうち角(3回、三塁方向)と水谷(5回、一塁方向)の二つが内野安打となって成功。大矢(5回)の打球は当たりが強すぎて三ゴロになった。もし、展開がもっと接戦なら、この弱点は致命的なものになる恐れもあった。「確かに守りづらい」と掛布もその点に相当神経を使っていたようだ。3Aクラスの野球と日本の芸の細かい野球の差が、オルセンの意外な強敵になる可能性もある。もう一つの危惧は制球力の粗さ。速球はカウント稼ぎで、変化球が勝負球になるが、まずカーブの制球力は危険がいっぱいだ。1回、角に打たれた本塁打は肩口から入ってきた。6回、若松に左二塁打されたのも甘いカーブだった。そうかと思うとこのカーブは、絶妙のところに決まって三振を取る。4三振のうちカーブで奪ったのが3個。いわば勝負球だけに、コース間違いが怖いということだ。この夜はシュートと2種類のカーブでスピードの変化をつけ再三のピンチをかわしたが、だから「今後に見通しがよし」とはいえない。


阪神が3回に2点を加えたところで勝負の行方が見えたのだが、それまでオルセンがピシャリと抑えて中日の追撃ムードを断っていたことが大きかった。右打者には外角カーブと内角シュート。左には内角に大きなカーブと内角シュートを主武器にし、制球力の甘さも球威でカバーしていた。中日が守りのミスで失点を重ねて追撃意欲を失っていったことが、オルセンの好投に輪をかけた。その勝ちっぷりはツキを味方にした強運男特有のパターンだった。


宇野のバットが空を切る。その直前に2点を許し、完封勝ちは逃したが、来日7試合目で初の完投で3勝目を飾ったオルセンは、マウンドの上でガッツポーズ。その瞬間、ネット裏では、初老の外人夫婦が「ブラボー」と声を上げてオルセンに喜びの手を振っていた。初老の夫婦は、息子オルセンの招きで十五日に来日していた父ロイさんと母シャロンさん。いわばパパとママに捧げる完投勝利だったのだ。1回から8回まで完ぺきなピッチング。速球が走り、スライダーが鋭く、2回先頭モッカに二塁打を許したのが唯一のピンチらしいピンチ。来日以来、最高の投球内容は、コンディションが次第に整ってきたこともあるが、やはり両親の観戦が刺激剤となっていた。「バックがよく打ってくれてリラックスできたから、うまく投げられたんだけど、両親が来てくれたのが、精神的な支えになった」


投げてはオルセンが威力のある直球を主体にチェンジアップを有効に使って中日打線をほんろう。終盤疲れが見えて2点を失ったが初の完投勝ち。

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ブラッド・トーマス

2024-07-14 08:03:48 | 日記
2005年
日本ハムが1日、春季キャンプにテスト参加していたブラッド・トーマス投手(27=前レッドソックス)の入団を発表した。年棒4500万円(推定)で背番号は「70」。最速150㌔超の本格派左腕で、先発候補の1人として期待している。メジャー実績は通算11試合に登板し0勝3敗、防御率9.89。トーマスは「昨年はプレーオフに出ているので、それ以上の成績が出るように貢献したい」と話した。

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1985年プロ野球退団

2024-07-14 07:57:24 | 日記
第二の人生へ悲喜こもごも。「自由契約」、「任意引退」という名の解雇通告を受けた選手が両リーグで七十七人。ユニホームを脱いだあと、新しい人生のメドが立った人もいれば、職を求めて師走の街を走り回っている人もいる。来る人、去る人…。今年もさまざまな人間模様を描いてあと一日で一年が終ろうとしている。ユニホームを脱いでも光り輝いている。定岡正二。近鉄へのトレードを拒否して十一月に巨人を退団。「まだ何をするか決めていないんだ」というのもブティック経営、甘いマスクを生かしてタレントに転向、さらに解説者と引く手あまたの状態だ。だが、すでに第二の人生に踏み出している人もいる。阪神・東はパ・リーグの審判員となって、今度はマスク越しにプロ野球を見続け、巨人・金城基、南海・金城信、広島・木原は韓国プロ野球に転向する。変り種ではヤクルト・青木がバウンドテニス会社「バウンディー・ジャパン」に就職。バウンドテニスの用具を販売しながら指導員となる。同じヤクルトの加藤正は喫茶店経営のために喫茶店学校へ通い、日本ハム・葛川は人間ドック用の医療セールスマンに転向した。日本ハム・長谷川は、故郷の福島へ帰って農場を経営。なめこの栽培を軌道に乗せるという。第二の人生へ出発。退団してすぐ次の就職が決まった選手はいい。解雇されたほとんどの選手が、仕事もみつからずに木枯らしの中で職さがしに懸命になっている。巨人、南海、阪神で活躍、3-1試合連続先発登板の記録を達成した山内新一投手も知人にサラリーマンの職場を紹介されながらとまどいを見せている。「小さいときから野球ひと筋。プロで十八年間やってきた。こんなオレにどんな仕事ができるんだ…」ワクにはめられるのが大嫌いなタイプ。それだけに平凡なサラリーマン生活に順応できるかどうか。「気持ちの整理がつくまで時間がかかりそうだ」とイライラ、モヤモヤの年の瀬が続いている。阪神・益山も苦悩の毎日だ。「不動産屋と運送会社を紹介されたけどぼくにつとまるかどうか。はっきりいって自信がないんです。でも、女房、子どものために一日も早く新しい仕事をみつけないとね…」新年早々にも面接試験を受ける決意を益山は固めた。また、一軍入りを期待されながらヒジの故障で巨人を退団した西尾は「田舎を出る時に周囲から大きな期待をかけられた。いまさら実家には帰れない」と就職先も決まらず途方に暮れている。プロ野球の華やかな社会を追い出され、人生の岐路に立った選手たちの前途はきびしい。


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