プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

郭建成

2024-07-13 20:40:04 | 日記
1989年
「スライダー、カーブ、シュートを投げ分ける技巧派」とのふれ込みで来日した郭建成。源治、泰源と並んで台湾3郭といわれた実力を発揮できるか。


ヤクルトの第三の外人・郭建成投手(23)=1㍍80、78㌔、右投げ右打ち=の入団発表が二十日、東京・東新橋のヤクルト本社15階会議室で行われた。同投手は台湾ナショナルチームのエースとして活躍。四年前に松園オーナーから入団を要請され、以来、ヤクルト一筋。昨年十月に兵役(海軍陸戦隊所属)を終え、一気に入団へこぎつけた。「ヤクルトへ入れて、心からうれしい。四年前、松園オーナーから激励と指示を受け、ようやく晴れの日を迎えることができました」ちょっぴり緊張ぎみの郭だったが、ハッキリとした口調で喜びを表現。途中、日本の大洋、昨年十一月には米大リーグのニューヨーク・ヤンキースから誘われたことも明らかにしたが、いずれも拒否。まさにヤクルトは念願のチームだった。背番号は「37」。第三の外人という扱いにも、「自分としては一生懸命やるだけ。後はコーチの判断です」と自信をちらつかせた。同投手はあす二十二日、台湾に帰国。二月四日からの二軍キャンプ(宮崎・西都)に合わせ再来日する予定だ。

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スコット・アンダーソン

2024-07-12 08:30:44 | 日記
1991年
オープン戦3試合目の3月10日のロッテ戦(熊本)に先発したアンダーソンは5回を投げ、1安打無失点。ベストメンバーのロッテ打線を手玉にとると、敵将・金田監督がこういった。「あんなのに、ポンポン放られたら打てンよ。完全にねじり伏せられた」しかし、新外人の日本初登板となった1日の対オリックス戦(沖縄)は、決して賛辞ばかりではなかった。3回を投げて7安打4失点。しかし「初投げという緊張感と体調不良で、ああなっただけ」という星野監督のコメントはまさにピシャリだ。続き6日、ナゴヤでの日本ハム戦を2回1安打無失点で切り抜けると、続く10日はこの好投。実力発揮にホッと安堵した。ベールを脱いだ新外人の武器は、直球さえもベース上で微妙に変化するクセ球に尽きる。148㌔を超す直球に加え、カーブ。チェンジアップ、カット・フィンガード・ファストボール、それにシュートにスライダー。持ち球がことごとく低めにコンロロールされる制球力も武器だろう。加えて、昨年首位打者に輝いたロッテの西村を「いきなり横手から投げてきて、ビックリしたよ」と面食らわせた。時折見せるサイドからの投球もある。

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山本保司

2024-07-12 08:01:17 | 日記
1990年


内之倉(鹿実)、犬伏(近大付)とともに、超高校級スラッガー。


1991年
牛若丸みたいな身のこなしかた。あの名手・立浪をセカンドへ追いやるようなフットワークに、首脳陣はクギ付けだった。「間違いなくアイツは将来ウチのショート」と星野監督は褒めちぎっていた。高校時代33ホーマーした長打力は、関東のスラッガーの名を欲しいままにした。おまけに俊足。三拍子そろった魅力たっぷりの男だ。ただ、2年前から痛みが走っていた腰の状態が気がかり。だが、プロ入り前、いろいろな病院で検査しても異常なしの診断。「じっくり体を作って、腰が全く気にならないまでの体にしたい。一軍入りはそれからです」と山本に焦りはない。1、2年後には一軍入りを目指す、山本の華麗な守備に注目だ。


1992年


長打力を秘めた大型内野手の片りんを見せはじめた。牛若丸のような身のこなし。柔らかいグラブさばきとフットワーク。どれをとっても首脳陣をほれぼれさせるもの。それに関東一高時代、通算33ホーマーしたふところの深い打撃は、スラッガーという名がピッタリ。おまけに俊足と、三拍子そろった魅力たっぷりの20歳だ。1年目は持病の腰を強化するためのトレーニングに専念。二軍の試合にも終盤4試合に出場しただけだが、秋季キャンプからメキメキ頭角を現して、楽しみいっぱい。


1993年


過去2年間で、わずか5安打しか記録できなかった男が、昨年は33安打し、2割6分4厘をマークした。守りは一級品。「今年は定位置を取ります」守備のスペシャリストがレギュラー取りに名乗りを上げた。


1994年


昨年、中日の山本といえば「昌」ばかりが、スポットライトを浴び、輝いた。だが中日にはもう一人、山本といえば「保」もいる。高校時代は超高校級の折り紙がついた抜群の野球センス。ようやくプロのスピードにも慣れ、一昨年は定位置争いに割って入る勢いさえあった。「一軍と二軍では、やっぱり違う。一軍で通用する選手にならなければ」中日の山本は「昌」だけではない。もう一人の山本が、ことし再び浮上を目指す。


1995年


超高校級スラッガーと期待され、プロに飛び込んで4年が過ぎた。竜の山本といえば、ファンが頭に浮かべるのは「昌」。もう一人の山本の名前は、すっかり頭の隅に追いやられようとしている。これまでチャンスがなかったわけではない。「一軍と二軍ではスピードが違う」と口にする。種田が故障でほぼ1年を棒に振り、2年目の鳥越を含め、遊撃争いは横一線。山本と言えば「保」も忘れられてはいけない。持ち前のパワーで再浮上だ。

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神垣雅行

2024-07-12 07:57:07 | 日記
1978年
昨年9月の巨人戦。一軍ベンチ入りして間もなく、小林投手からプロ入り初の三塁打。これが初の打点であった。以来、11試合に出場。打率2割5分、ホームランも打った。4年目を迎え、遊撃あるいは二塁をうかがおうと目の色を変えている。内野手のホープだ。


1979年


「打てる内野」の有力候補。毎シーズン、一時期は大活躍するのだが、そのチャンスをつかみ切れない。不運を嘆かず、まず守備の不安を吹き払うまでゴロを捕りまくれ。すばらしい闘争心の持ち主で、きっかけさえつかめば、強打の内野手になれるだろう。鈴木(ヤクルト)KOの快打の味を忘れるな。

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山本保司

2024-07-12 07:54:19 | 日記
1990年
一度はあきらめかけていただけに、山本は喜びにあふれていた。失意のどん底で関東一高野球部合宿所近くの鎌ヶ谷駅に降り立った時、後輩たちからの祝福の言葉。日は暮れ、午後六時は過ぎていた。三時間前、東京・江戸川区にある学校で、山本は広島4位指名の山崎と一緒にテレビを見ていた。3位指名になっても山本の名前は出てこない。放送も終わった。「僕、もう帰ります」山本は涙をためて学校を出た。大洋、日本ハムなどプロからあれほどあいさつが来ただけに…。気持ちの動揺、整理をつけるため、山本は理髪店へ。熊谷組など就職のことが頭をかすめていたところに、吉報は舞い込んできた。「うれしいというより、いまさっきのことですから、信じられませんね」合宿所で唐杉野球部長らに祝福されるまでもなく、山本は喜びにほおを紅潮させた。まだまだドラマはある。そこへ山本の行き先を心配する母・妙子さん(45)からの電話。山本は感激に唇をふるわせていた。進学も就職も決めず、プロへ一直線だっただけに、中日の3位指名に何らこだわりはない。「立浪選手みたいになりたい」初々しそうに山本の心は早くもプロへ飛んでいた。昭和47年4月9日、神奈川県厚木市生まれの18歳。少年野球「厚木リトルシニア」出身。関東一高では通算33ホーマー。今夏の甲子園は不発で初戦敗退。


「星野さんのもとでやれる息子は幸せですよね」中日にドラフト3位指名された関東一高・山本保司内野手(18)の両親は、もろ手を上げて大賛成だ。中日・高木スカウトは二十五日午後二時、神奈川県厚木市依知にある同内野手の自宅を訪れ、父・武司さん(46)=自営業=、母・妙子さん(45)に指名あいさつを行った。本人は千葉県印旛郡の野球部合宿所住まいで不在だったが、中日の指名に大喜びしており、あいさつも焼く時間、なごやかムードで進められた。両親が最も気にしていたのは「どうやったらあんなガッシリした体つきになるんでしょうか?」ということ。「ウチの息子は、いつもドンブリめし二杯は食うんですが、ちょっと目を離すと、ランニングをさぼっていましたから」と武司さんが言うと、高木スカウトは「心配いりませんよ。十分すぎるほど練習がありますから」と苦笑しながら即座に受け答えした。


山本の心は既にプロに飛んでしまっている。物おじすることなく「目標は立浪さんに追い付き、追い越すこと」と抱負をズバリ。そして、スカウトもビックリ仰天のことをそのすぐ後に付け加えてしまうのだ。「一年目からです。ベンチ入り?違いますよ。レギュラーです」もちろん、口ばかりではなかった。野球部退部後も、毎日欠かさず約二時間半にわたってランニングとウエートトレーニングをしている。「いきなり一軍にダッシュするために筋力を落とすわけにはいきませんからね」という意気込みなのだ。いかにも星野監督好みの向こうっ気の強そうなタイプ。高木スカウトも、この日改めて「コイツぁ、いいぞ」とホレ直してしまうのだ。「攻走守、三拍子そろっていますからね。ヤクルトの池山に似た感じだが、性格もいいよ。プロ向きだ」この日決まった四千万円の契約金。「すべて親にプレゼントしますよ。ボクは、これから年棒でバリバリ稼げばいいんですもんね」高校時代は通算で33ホーマーをカッ飛ばしたスラッガー。入団交渉というプロ初打席でもそのパンチ力で、いきなり一発を放った感じだ。

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森田幸一

2024-07-12 07:31:35 | 日記
1990年
中日から5位で指名を受けた森田幸一投手(住友金属)は「突然の指名でびっくりしています。プロにあこがれる気持ちがないといえばうそになるけど、会社とか家族と相談してゆっくり結論を出したい」と戸惑いの表情を浮かべた。近大時代はオリックス、山内、今回ダイエーに1位指名された日生・木村と同期。最高148㌔のストレートを武器に住友金属へ入社してからもカーブ、スライダー、チェンジアップの多彩な変化球を交えたピッチングを見せてきた。現在はフォークも練習中だ。

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小島弘務

2024-07-12 07:27:24 | 日記
1990年
小池を1位の競合で外したが、「一番欲しい」小島弘務投手を外れ1位で指名できた。注目の1位指名。小池か、元木か。それとも小島の単独か、で迷った。熟慮の結果、即戦力投手で、「今中ら左が若いチーム事情」で左の小池で勝負に出たのが不幸中の幸いだった。1位指名が決まった後の中日のテーブルは沸きに沸いていた。「よかったよ。ロッテが外れ1位で小島にくる情報があったんだ。一番いいところに小池が当ってくれた」と星野監督はくじで負けても満面に笑みだった。そして「ウチは三人のスカウトが見ている。ウチの右投手の中へ入ってもトップクラスだろう。与田とはタイプが違う。とにかく変化球(スライダー、シュート、シンカー)が抜群だ」と興奮気味にまくしたてた。

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大畑徹

2024-07-11 21:47:54 | 日記
1983年
毎年、左腕不足に悩まされる大洋にあって待望久しい即戦力サウスポーの入団だ。何しろ大学通算成績は50勝2敗、39連勝などの輝かしい実績は地方リーグという事を差し引いてもいかに魅力たっぷりな素材がうかがい知れる。卒業試験のためプロスタートはちょっぴり出遅れたが関根監督の構想も「夏場あたりから出てきてくれれば・・・」だから焦ることはない。「死ぬ気でやる」が口癖の九州男児。野性的なマスクもスター性十分だ。


1984年


昨年のドラフト1位男も、肘の故障で1年間を棒にふった。「周囲の期待が大きすぎて、それに応えようと気負いすぎました」と反省する本人。あせりは禁物だ。今年は自分のペースを忘れずに調整して、一軍定着を狙いたい。それだけの力は絶対ある。


1985年


「見ていてくださいよ!」が最近の口グセ。その言葉通り、草薙キャンプでは快速球とキレ味鋭いカーブをビシビシと投げこみ、大いに首脳陣やマスコミの注目を集めた。グラウンド外の表情も、かつての寡黙ぶりからひょうきん人間へと180度の大変身。冗談を連発しては周囲の爆笑を誘っている。左腕欠乏症、大洋投手陣の特効薬となるか!


1986年


「ぼくにも意地があります」昨年暮れの移籍入団発表の席で、キッパリと言った。58年、折角のドラフト1位で入団しながら、大洋ではついに勝てなかった。悔しかったことだろう。その気持ちを、新天地でたたきつけることだ。切れ味鋭いストレートとカーブは、まだまだこれから伸びる素質を十分に秘めているはずだ。「ゼロからの出発」を決意して背番号は0。心機一転のマウンドに期待したい。


1987年


「イチからじゃなく、ゼロから再出発したい」の意気ごみも、むなしかった。九州の大学リーグで豪腕を誇った左腕からのスピードボールは、大洋でも日本ハムでもことごとくはじき返されている。心機一転、昨年から投球フォームを変えた。オーバーハンドからサイドスローへ。たとえワンポイントでもいい。一世を風靡した西武・永射のように実戦に強いマウンドさばきが見られるかどうか楽しみだ。

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バートサス

2024-07-11 21:43:37 | 日記
1990年
陽気なジョーク好きの助っ人だ。ヤクルトの新外人、ティム・バートサス投手(30)は6日、神宮球場でさっそく初投げ、約50球のピッチングを披露した。まるで大相撲の新小結・曙が投げているよう。201㌢は現役最長身だ。5日に来日したばかりとあって、その体の割りにはこの日のピッチングは迫力不足だったが、「速球には自信がある。146~150㌔は出せるよ。スライダー、カーブ、チェンジアップのほかに今はフォークも練習中だ」とアピール。

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スコット・アンダーソン

2024-07-11 21:39:19 | 日記
1990年
ノッポな外人投手がドラゴンズのユニホームを着る。194㌢、86㌔の本格派右腕。二階から投げ下ろすようなストレートは、ゆうに140㌔を超え、角度があって打ちづらいという。加えて縦に大きく割れるカーブ、チェンジアップやシュート、スライダーなど多彩な変化球も大きな武器だ。「キーオ(元阪神)に似たタイプだな。コントロールがいいピッチャーで、右の先発ローテーションの一人として2ケタは勝ってくれるものと確信しているよ」という星野監督のセリフからも分かるようにまとまりのある、安定感に富んだ投手。二十八歳という若さも魅力。八四年にプロ入りして、ほとんど3A暮らし、メジャーにはたった12試合、0勝2敗だが、今季は3A・インディアナポリスで初めて2ケタ勝利をマークするなど、将来性もある。テクニックも持ち合わせていて、右打者にはサイドハンドの投球でかわすピッチングを披露することもあり、日本の野球向きといってもいいだろう。「日本でプレーできる機会ができたことは、非常にうれしい」中日入団が決まったアンダーソンは、国際電話で喜びを伝えてきた。「いま、年齢的にも一番脂が乗っている時期だと思うし、ドラゴンズが優勝するためにできるだけ貢献したい」弾んだ声は、日本でのプレーを心待ちにしているように聞えた。


1987年からの3Aでの4年間の投手成績から見た1試合平均値は安打数=9・2本。奪三振5・5個の数字が残っている。安打数、奪三振はごく普通の投手だが、194㌢の長身の割には与四球数が少なく、コントロールはいい方だ。ボールの切れで勝負するタイプ。


1991年


「こうして正式にサインをして、今は自分の夢が現実に一歩近づいたという感じだ」昨年12月、渡米した中日・足木渉外部長とドラゴンズの正式契約を交わした後に、28歳の青年が見せた笑顔はうそ偽りないものだった。1984年から大リーグに挑戦すること7年間。昨シーズンにはついに念願の大リーグ初登板をモントリオール・エクスポズで果たした。登板した4試合の結果は1勝1敗、18イニングスを投げて被安打12、奪三振16、防御率3.00。初めての大リーグ昇格にしては決して悪い成績ではない。いや、これならば、大リーグでも中継ぎ、あついは運良く先発のチャンスをつかんだとしても不思議ではんかった。というのも、アンダーソンが短いイニングながら大リーグで残した高い三振奪取率は、確かな技術の裏付けがあるからである。195センチの長身から投げ下ろす切れのあるストレートと、落差の大きいカーブはこれまでも威力十分だった。だが、悲しいかな大リーグのレベルではとても海千山千のバッターを相手に投げ勝つことはできない。しかし、今シーズンのアンダーソンにはこの2種類にもう一つ武器が加わったのだ。「カット・フィンガー・ファストボール。このボールが僕のピッチングを一変させたんだ。内角一辺倒だったためにどうしても大リーグでは苦しくなってしまうピッチングが、このボールのおかげで外角の組み立てもできるようになったというわけさ」大リーグでの初先発では6回を1失点。敗戦投手にこそなったものの、エクスポズのブルペンコーチ、ケン・モッカ氏の評価も「他の投手スタッフが今ほど若くなければ、当然ローテーションに入ってくる」と高い。期待のノッポ投手だ。


1992年


195センチの長身から、チームメイトにつけられたあだ名が「ガリバー」だった。そのガリバーが、2年目のシーズンを迎えるに当たってこう言う。「昨年は日本とアメリカの野球の違いに驚くことの連続だったよ。でも、それは今年のためにきっといい経験になるはずだ。何としても、去年を上回る成績を挙げるつもりさ」日本の打者は、豪快にバットを振って「力対力」の勝負をするアメリカとは明らかに違う。投球をじっと見極めてくるし、バントも多用する。そのうえ、塁に出れば投手を幻惑させようとあの手この手を使ってくる。そんなカルチャーショックとの戦いだった1年目だったとすれば、今年はそれを乗り越えなければいけない年なのだ。昨シーズンは完封を4試合もマークしながら防御率は4点台で、9勝7敗。誰も手が出ないピッチングをしたかと思えば序盤でKOされることもたびたびだった。今季はピンチでも逃げず、強気に攻めて欲しい。そうすれば15勝は確実なのだから。

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大畑徹

2024-07-11 21:16:37 | 日記
1982年
「左では立教の野口以上」とは明大の島岡監督。140㌔の速球、縦に割れる大きなカーブは、左腕不足のプロ野球にとって大きな魅力だ。性格も「向こうっ気が強く、逃げるのが大嫌い」というようにプロ向きである。中央ではほとんど無名の存在だったが、ことしの日米大学野球選手権大会のメンバーに初めて選ばれてから「九州に大畑あり」と知られるようになった。九州では数々の記録を塗り替えた「記録男」でもある。福岡六大学野球で、完全試合、一試合10連続三振、一試合16奪三振、そして、山中(法大ー現在住友金属監督)の記録を2勝上回る大学通算50勝。「好きな野球ができるし、やりがいもある。ここまできたら、やはりやってみたい」と、本人の気持ちはプロ入りに傾いている。希望の球団はセ・リーグ。「好きなバッティングができるし、お客さんも多いからですからね」と笑う。打撃にも非凡な面を持ち、この秋のリーグ戦では、わずかの差で首位打者を逃した。ほとんどの球団があいさつに訪れたが、とくに大洋と中日が熱いラブ・コールを送っているという。だが、父親の清さんは「プロの世界は甘いものじゃないし、身分の保証もない。私は社会人に行ってほしいと思い悩んでいるところなんですよ」と複雑な表情を隠せない。社会人からは、プリンスなどから誘いの手が伸びている。昨年のドラフトで、大学の一年先輩の中原朝日投手が日本ハムに3位で指名された。エースのプライドの高い大畑だけに、プロ入りに当っては「それ以上で指名されること」と、もう一つ父親の説得が、大きなキーポイントになりそうだ。


「うれしいですね。大洋は好きな球団です。いいチームだと思います」九州球界の雄、九産大・大畑徹投手(22)=178㌢、76㌔、左投げ左打ち=は、指名後の記者会見で喜びに顔をほころばせた。九州産業大からは初めての1位指名だ。この日、大畑は午前十一時過ぎから、大学機内の九産大球場で待機していた。母校の不祥事件で、大学本部が報道陣をロックアウトしているため、異例の球場内会見となった。大洋から電話が入ったのは、午前十一時二十四分。すぐにその場で記者会見。「1位に指名させていただいたという電話です。ありがとうございました、と答えました。1位指名は光栄です。秋のリーグ戦が終わってから、プロ入りを考えました。監督さんや大学の理事長、それに両親と相談してから、はっきり決断したいと思います」大畑は社会人の熊谷組に入社が内定している。父親の清さん(56)はドラフト前に「プロの世界は厳しいところ。私は社会人に入ってほしいんです」と、息子のプロ入りには反対の考えを明らかにしている。だが、大洋が大畑の意中の球団であり、しかも1位指名という大畑のプライドを十分に満足する結果が出たので、プロ入りはまず間違いない。「親父は自分で口説きます」と決意の固いところも見せる。意中の球団は大洋、中日、西武の三球団だった。合宿所で「いつもと変わりない朝を迎えた」という心臓の持ち主。池田監督も「向こうっ気が強くて、プロ向きの性格」と太鼓判を押す。残るは契約に関しての話し合い。「自分からいくらとは言えませんが、多ければ多いほどいいです」今後の抱負を聞かれて「ストレートで三振の取れるピッチャーになりたい。三振を取ってみたいのは原、掛布さん。ライバルは野口(立大)です」ときっぱり言い切った。「これまでの人生で一番うれしい日」と言う大畑。「大好きな」江夏投手を目標に、プロへ第一歩を踏み出そうとしている。

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スコット・アンダーソン

2024-07-03 14:44:55 | 日記
1991年
ナインを驚かせたのはアンダーソン。アップのあと投手と内野手の連携プレーに参加。ブルペンでは37球のピッチングも披露した。1メートル95の長身から低めへ丁寧に投げていたのが印象的で、佐藤コーチは「アメリカ仕込みだね。コントロールはいいようだ」と評価した。この日は直球しか投げなかったが、チェンジアップ、カーブに自信があるそうで、「自分は力で押さえ込むのではなく、横に揺さぶって勝負するタイプ。15勝が目標」と抱負を話した。


アンダーソンがシート打撃に初登板、打者8人を無安打(1四球)に抑えた。直球にカーブ、スライダーなど、「5種類のボールでストライクを取りにいった」という。内角シュートで仁村、種田のバットを折って内野ゴロ、落合も中飛に詰まらせた。

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スコット・アンダーソン

2024-07-03 14:44:04 | 日記
1991年
ナインを驚かせたのはアンダーソン。アップのあと投手と内野手の連携プレーに参加。ブルペンでは37球のピッチングも披露した。1メートル95の長身から低めへ丁寧に投げていたのが印象的で、佐藤コーチは「アメリカ仕込みだね。コントロールはいいようだ」と評価した。この日は直球しか投げなかったが、チェンジアップ、カーブに自信があるそうで、「自分は力で押さえ込むのではなく、横に揺さぶって勝負するタイプ。15勝が目標」と抱負を話した。


アンダーソンがシート打撃に初登板、打者8人を無安打(1四球)に抑えた。直球にカーブ、スライダーなど、「5種類のボールでストライクを取りにいった」という。内角シュートで仁村、種田のバットを折って内野ゴロ、落合も中飛に詰まらせた。

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