営業マンだった私2

2001年12月15日 | 会社・仕事関係

わけは知らなかったが、
社長の小指が第一関節からなかった。
何かの事故で、とは聞いていたが、
それ以上のことは聞いていない。

竜功社は、
御徒町の山手線沿いにある雑居ビルの3階にあった。
社長と部長、それに経理の女性がひとつの事務所にいて、
営業の3人は、通路をへだてたもうひとつの事務所だった。
それまでの竜功社は、3人でやっていた。
新しい企画を実行するために、
私たち営業3人を入社させたのだった。
社長と部長は、長いこと求人広告業界で生きていて、
そこそこの大きな会社を得意先に持っていた。
そこで求人広告を出すときは、
必ず彼らに仕事が来るようになっていた。
それだけでは儲からないので、
毎週日曜日の読売九州版の全2段を買い取り、
関東の会社の求人広告を出す企画を考え、
私たちをいれたのだった。

あの頃は、景気が上向いていたので、
求人広告を出しても人が集まらなかった。
そこで、九州のほうで都会に憧れる若者を、
東京で働きませんか、と呼ぶ広告は、
なかなかいい企画だと、
面接で社長に聞いたとき私は思った。
私にもその営業なら出来るかなと考えたのでした。
それが甘かった。
地方から人を求人出来るという会社は、
そこそこ大きな会社で、
寮とか社宅を持ってるところでないと出来ない。
そういう会社は、求人広告を出す代理店は決まっている。
ちっちゃな代理店が電話で営業しても、
話も聞いてくれない。
私たち3人は、毎日まいにち沢山の会社に電話をしたが、
まったく仕事に結びつかなかった。
私は、電話をかけるのがイヤになった。
かけないでいると隣の事務所の社長が来て怒鳴った。
電話のボタンの明かりがついてないと、
かけてないと分かる。
ものすごく怖かった。
なにしろ、小指がない人です。
九州版の全2段はなかなか埋まらなかった。
社長と部長のお客で3分の2は決まるが、
あとがない。
結局、社長、部長の得意先の会社の広告を、
サービスで出すことになる。

ところが3ヶ月ほどして私にも、
ラッキーなことがあった。

                   (つづく)

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