私といっしょに入社したKという男はすごかった。
私みたいにうじうじ考えないで、
どんどん電話しまくった。
そのせいか、2、3日に1社ぐらいアポイントをとった。
とると資料を持ってその会社に行く。
私ともう1人の女性は、
会社で1日中電話をかけていなくてはならない。
その女性は、後日知ったのだが、
夜はホステスをしていた。
部長のよく行く店に勤めていて、
そういうことから入社したようだった。
当然(なにが当然なんだ)、
社長と経理の女性は出来ていた。
Kはアポをとった会社に営業に行くけれど、
なかなか広告掲載にはならなかった。
なったとしても、九州版の企画のほうではなく、
都心版の行数広告のほうだった。
ほとんど九州から求人するという会社はなかった。
それでもKはそれなりに売り上げを上げるので、
社長はよろこんだ。
私は、毎月給料はもらうが、稼いではいなかった。
だんだん社長の私に対する風当たりがきつくなった。
「おまえは、初めッから、こんな企画だめだよ、
という感じで電話してる。
もっと熱意を持って電話しろ」
と社長は怒るが、
私のこころがそう思ってるからしょうがない。
そのうち、私にもアポイントがとれるようになった。
何社か行数広告も出した。
東北統合版というのに、居酒屋の
2段8分の1の広告を載せたこともあった。
居酒屋の名前のロゴを自分でつくり、
コピーも書いた。楽しかった。
11月だったか、女房が妊娠したことが分かった。
10月に公団の高島平団地に引っ越していた。
1DKの風呂トイレ付きになったので、
子どもが欲しいねと女房がいいはじめた。
こりゃ頑張らなくてはならないと思った。
しかし、いっこうに仕事はとれなかった。
子どもが生まれるというのに、
私は、情けない気持ちで生きていた。
あるとき私は、すごい会社に電話していた。
そのときは何も考えてなかった。
ただ電話しなくてはという思いだけだった。
すると、人事担当者にすんなりつないでくれ、
その日にそこを訪問することになった。
社長に、
「アポがとれたので行ってきます」というと、
「どこの会社だ」という。
「銀座です」
「なんて会社だ」
「資生堂です」
「なんだって? 資生堂といったのかおまえ」
「はい」
「ばか、あそこは電通に決まってるんだよ」
「でも、来てくれ、といってました」
「………」
(つづく)