親父の命日

2021年08月18日 | 家族

今日は親父の命日です。
30年前、私が39歳のとき(平成3年 1991年)に82歳で亡くなっている。
私の父は明治42年(1909年)に生まれて、そして82歳で人生を終えた。
私は、自分ががんということが分かったこともあり、とても82歳までは生きられないと思う。
なるべくその歳の近くまでには生きていたいと願う。

今、私が生まれた1952年から父が生まれた1909年を引いたら、43だった。
恥ずかしいことですが、このようなことをこれまでしたことがありませんでした。
私は、父が43歳のときに生まれたんですね。
これまで私は、だいたい親父が40歳の頃に生まれたんだ、と思っていた。
それが今日、父が43歳のときの子どもだったんだと分かった。
母は大正3年(1914年)の生まれです。
私は、母が38歳のときに生んでくれたと、今日知った。
(こんな私は、アホですね)
私は、6人きょうだいの末っ子ですから、両親は年を取っていた。

親父は30年前の年の始めの頃、糖尿ということで入院した。
黄疸が出たからです。顔が真っ黄色になっていた。
でも、本当のところは膵臓癌で手術で開いてみたが、
手のつけようがなくてそのまま何もしないで閉じたという。
まもなく治ったという形にして父は退院した。
7月になり、父の体調が悪くなり再び入院した。
もう手のほどこしようがなかった。
こんなふうに2010年08月18日の九想話に書いてあった。

1991年の夏、私はお盆の頃休みを1週間取り父の入院している病院に泊まり看病をした。
そのとき親父はずーっと寝ていて私のことは分からなかった。
私は、父の下の世話もした。
親父のウンチは、薬のせいか緑っぽかった記憶があります。
それまであんなに親父と長い時間を、いっしょにいたことはなかった。
親父は、ずーっと眠っていた。
8月18日、私の有給休暇がその日で終わるので、そのとき住んでいた所沢の家に帰った。
家に帰ったときに、親父が死んだことを兄からの電話で知った。
私は親父の人生の最後のときを、二人で過ごせてよかったな、と思った。
あのときからもう、30年たっている。

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