12月8日は、日本が真珠湾を攻撃した日、そしてジョン・レノンが亡くなった日です。
でも私には、23歳で死んでしまった龍彦の命日です。
龍彦とは私が19歳の3月に、東京都文京区にあった試薬薬品会社に就職したときに出会った。
その会社は午後4時半に仕事が終わった。
なので先輩の社員の人たちは、みな夜の学校に行っている人が多かった。
私も夜間の予備校に行こうと思っていたので、その会社を希望した。
私は、お茶の水にある予備校に行きたいと考えていた。
私の行きたかった予備校へは、会社から徒歩20分で行けた。
龍彦は、ボクシングジムに行っていた。
大阪のボクシングジムで訓練していたのだが、
やはり東京でやったほうがいいということで、龍彦は東京に出てきた。
私は仕事が終わると毎日、お茶の水の予備校に通っていた。
龍彦はボクシングジムに行っていた。
予備校の授業に私は、まったくついて行けなかった。
そして9月の頃は、予備校に行かなくなってしまった。
龍彦は秋にボクシングのプロテストに受かった。
12月にプロとしてのデビュー戦をやることになった。
デビュー戦の1週間前に、龍彦に誘われて酒を飲んだ。
「おれは、人を殴るのも、殴られることも怖くなったんで、ボクシングをやめる」と言った。
それから龍彦と私は、毎日のように酒を飲んだ。
私の駒込の3畳のアパートに龍彦が来ると、二級酒の酒を飲んでギターを弾いていろんな話をした。
私のアパートの6畳間の部屋にはIさんが住んでいた。
その人は私より1歳年上だった。
東京の台東区生まれで毎日部屋で油絵を描いていた。
1週間に1度ぐらい山谷で、日雇いをして暮らしていた。
絵を描いていないときは、アルトリコーダーでヘンデルやバッハの曲を吹いていた。
高校卒業のとき東京芸大を受験して落ちたと言う。
そして、大学には行かずに独学で油絵を描いていくと話していた。
私はあるときIさんに声をかけられて、酒を飲むようになっていた。
それで龍彦も一緒に酒を飲むようになった。
Iさんの家には、いろんな友人が遊びに来た。
大会社に勤めるOL、美大の学生、漫画家のアシスタント。
私もそうだが、龍彦もIさんの人柄に惹かれるようになった。
龍彦は、会社を辞めて大阪に行ってしまった。
半年後には、また東京に帰ってきた。
そういう暮らしを龍彦はしていたが、22歳のときに萩焼きの窯元に弟子入りした。
ところがそこの女性の弟子と仲良くなって、2人で窯元から出奔した。
九州などを2人で旅して、東京の私のアパートにやってきた。
龍彦は彼女と結婚したいといった。
私は反対した。
結婚することはいいが、もう少し生活をかためてからしたほうがいい、と私は言った。
私のアパートを2人が去って9月頃、龍彦から手紙が来た。
彼女とは離れて暮らして、龍彦は備前焼きの窯元に弟子入りした、と書いてあった。
ところがそれから、龍彦が病気になって入院したという連絡がきた。
10月に私は、岡山の備前焼きの窯元に行った。
病院にいた龍彦は、意識はなく人工呼吸器で生きていた。
脳に細菌が入って、頭の手術をしたそうだ。
龍彦の意識は戻らず、12月の8日に亡くなった。
私はそのあと1年ほど、死んだように生きていた。
龍彦は、私がギターを教えてからうまくなった。
彼はギターを弾く前は、演歌を上手にうたっていた。
ギターを弾くようになってからは、陽水の歌をよく歌っていた。
あいつの好きだった「紙飛行機」です。
紙飛行機 井上陽水