淡路島から友が来た

2024年12月05日 | 友人

昨日の午後5時前、私がリビングの窓の外を見ていると大きなワゴン車が通過した。
私は、あの車かな?と思って玄関から外に出た。
するとその車が、私の家を通り過ぎてから戻ってきた。
やはり運転席には友人がいた。
21年ぶりの彼の顔は、少しのちがいはあったがすぐ分かった。
私の顔だってそうだろう。
私は彼に挨拶をして、日曜日に借りていたうちの後ろの家の駐車場に案内した。
友人の車はハイエースだった。
大きな車がなんとか駐車場に入れてよかった。

友人に風呂に入ってもらってから食事にした。
買ってきた寿司と、女房が作った大根と豚肉の煮物と、
いろんな野菜と生ハムのサラダがテーブルに置かれた。
そして、ビールを飲んだ。

友人と私が知り合ったのは30歳の頃だ。
私は、板橋区にある70人ほどの電機系の製作会社の資材購買課にいて、
彼は、IC・LSIなどの半導体電子部品を販売する新宿にあった会社の営業マンだった。
彼の会社から毎月それなりの半導体電子部品を買っていた。
そういう関係で盆と暮れには、彼の会社の接待で新宿などで飲んでいた。
その会社を私は34歳で辞め転職した。
彼も会社の上司と新しい会社を作ったりした。
私は転職しても、資材購買課の仕事をしていたので彼との付き合いは続いた。
彼は35歳の頃、所帯を持って埼玉にマンションを買った。
しかし彼はその後、そのマンションを売って淡路島に帰ってしまった。
淡路島に帰ってある会社で働いていたが、その会社がつぶれてしまった。
それで保険会社の営業をするようになった。
私は、彼を応援するために車の任意保険や生命保険を解約して、彼の会社の保険に入った。
彼は今、自分の会社を解散して無職になり、ゴルフ・テニス三昧の日々を送っている。
私の入っていた保険は、彼の仕事を引き継いだ人にお願いしている。
(私は、彼に勧められて入った保険で、膀胱がんになりお金をいただいて助かった)

彼が高校を卒業してから、どうして東京の半導体電子部品販売の会社に入ったのか、とか、
埼玉にマンションまで買ったのに、どうして淡路島に帰ったのか、などを話してくれた。
毎日仕事が忙しくて家に帰るのが遅く、それが厭で淡路島に帰ったそうだ。
私の知らないことばかりだった。
私の茨城での子どもの頃とか、淡路島での彼の子どものときの話などを話した。
楽しかった。
彼と私は学年が1つ違いです。
こんなに長く付き合いが続いてきたことを嬉しく思う。

友人は12月3日、千葉に住む息子のところに泊まったそうだ。
そして昨日、息子と息子の会社の人間とゴルフをしたそうだ。
息子は、理容店を10店舗経営していて、50人ほどの社員がいる会社の社長だという。
友人の奥さんは、その会社の役員をしていて重役手当を毎月もらっているという。
うちの息子たちには、そのような力はない。
私の資質を受け継いでいるのでしょうがないだろう。

今日私は、膀胱がんの外来に行く日だった。
群馬に行く友人を8時過ぎに送り出し、私は病院に向かった。


友人が淡路島の大江のりを10本おみやげとして持ってきてくれた。

2003年07月31日九想話「淡路島



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