淡路島に住む友が来た。
もう20年付き合っている。
もともと、私がある会社の資材部にいて、
彼が私のところに電子部品の営業に来ていた。
最初はそれだけの関係だったが、
酒を飲むようになり、
仕事だけではない関係になった。
私が転職し、彼も転職しても、
私が資材部、彼は電子部品会社の営業だった。
しかし、10年ぐらい前、
彼は埼玉に買ったマンションを売って、
奥さんと子どもと一緒に淡路島に帰った。
帰った頃は、年賀状のやりとりと、
電話でたまに話すぐらいだった。
しかし、4、5年前から
パソコン通信のメールになった。
そして今では、
お互いのサイトの掲示板で話している。
こういう関係になるとは、
10何年前には想像できなかった。
今日は、彼が行きたいといっていた
楽家に行って飲んだ。
いつの日か私も淡路島に行こう。
辻仁成の「冷静と情熱のあいだ」は面白かった。
日曜日の深夜の2時ぐらいまでに読んでしまった。
どうしても最後まで読んでしまいたかった。
江國香織は読了するのが辛かった。
この小説は、あおいという女性と、
順正という男の恋の物語だ。
舞台はイタリア。
順正の仕事が絵の修復士なので、
絵のことについていろいろ書いてあるのが楽しい。
あおいのことを書いたのが江國香織で、
順正の気持ちを書いたのが辻仁成だ。
二人は学生時代付き合っていた。
それが、あることで分かれた。
二人ともそれぞれに現在付き合っている恋人がいる。
しかし、あおいも順正もむかしの恋を引きずっていて、
目の前の恋人に夢中になれない。
結局、うまくいかなくなり分かれてしまう。
二人は大学生のときにある約束した。
「西暦2000年の5月、
あおいの誕生日に
フィレンツェのドゥオモで会おう」と。
その約束の日に二人は…。
辻仁成の小説を初めて読んだが、
他のも読んでみたくなった。
そして、イタリアにも行きたくなった。
いつも朝食の後、歯を磨き洗顔して、
台所の換気扇の下で煙草を吸う。
いやな会社にこれから行くんだ、
と心にいいきかせる。
そのあと、トイレに行く。
7時15分ぐらいに出勤する。
いつもは、車に乗ってまず煙草に火をつける。
そして会社に着く10分ほど前に、
もう1本火をつける。
昨日は、はじめの1本をやめ、
会社と家の途中ぐらいで1本だけ吸ってみようか、
そんなふうに、考えた。
ところが煙草を吸ってもいい場所に来たが、
どうでもよくなり、
今日、1日煙草をやめてみようかな、と考えた。
いや、そんな無理しなくてもいい。
第3工場の休憩室でテレビを観てるときに
吸いたくなったら吸えばいい。
そう思っていたが、吸わなかった。
4人いて2人は吸ってる。
1人はもともと吸わないやつ。
いつもはおれも吸っている。
8時から15分までに、2本吸う。
それで心を整え仕事に向かう。
10時の休憩に2本、昼休みに3、4本、
3時の休憩に2本、仕事が終わって1本、
家に帰る車の中で3本、家に帰って………。
そんなことを考えたらイヤになってきた。
煙草なんてくだらない。
なんか生きてるうちはすべて、
おれは煙草を吸うことを考えていた。
ここで吸おう、次はあそこだ。
休憩になったら、昼休みになったら、
仕事がおわったら、車に乗ったら。
煙草は切れないように予備を1箱在庫する。
ライターも余分に1個持つ。
携帯灰皿は必ず持つ。
ああ…、なんかそういうことに
貧しさを感じた。
煙草を吸わないことにすれば、
そういうこと全部考えなくていい。
おれはもっと自由にいろんなことを考えればいい。
昨日は、ライブをやる仲間たちとの練習の日だった。
新所沢公民館に行った。
なんと昨日は、ベースの人がいた。
だんだん本格的になってきた。
それにしてはケーナの水準がまだまだ低い。
休憩時間、ロビーで煙草を吸いたい。
耐えた。
9時半、練習が終わって、
こんどライブをやる「BROCK HEADS」で飲んだ。
マスターもお客もみんな煙草を吸う。
当たり前だ、酒を飲むときゃ、煙草を吸い、歌う。
おれだって、昨日まではそうだった。
ママとSさんは吸わない。
それでおれも“無煙”の仲間入りだ。
小さい声でいいますが、
今のところ、休煙しようと思う。
そのうち80歳ぐらいになったとき、
もうおれは死んでもいい、と思えたら、
煙草を吸おう。
それまではそのときを楽しみにして、
煙草はやめよう。
ちょっと自信ないけど…。
煙草大好きな九想です。
CORAZON ANDINO(コラソン・アンディーノ)
「アンデスの心」というCDを買った。
これを聴いて私は涙を流した。
私の知ってる「花祭り」「コンドルは飛んで行く」
があるが、それ以外は初めて聴く曲ばかりだ。
インティクントゥル(天空のコンドル)
というグループが演奏している。
全部の曲がいいのだが、
特に、「インカの父」「アンデスの旅人」がいい。
アンデスの風を感じる素朴なアレンジが泣ける。
ウニャ・ラモスの演奏は、
フランスで暮らしているせいか、
垢抜けて洗練されたアレンジで、
これはこれで素晴らしいのだが、
私は土着的な古風なフォルクローレが好きだ。
すべての音楽を好きな私ですが、
アンデスの曲には心を揺さぶられる。
さっき asahi.com を見たら、
「作家の半村良氏が死去」という記事があった。
びっくりした。
最近、雑誌などに作品などが載っていなくて、
どうしているのかな、と思っていた。
むかし、半村良の講演を早稲田大学で聴いた。
私が22、3歳の頃です。
大学に行かなかったこととか、
工員や板前見習、バーテンダー、広告会社勤務など
さまざまな職業を転々としたことなど、
話が面白かった。
私は、半村良のSFを読んだことがない。
そういう意味では、
彼のほんとうのファンではないのかも知れない。
しかし、直木賞をとった「雨やどり」とか
「新宿馬鹿物語」が好きだった。
ああいう話を私も書けたらいいな、と思った。
一緒に酒を飲みたかったな。
今日は雛祭りでしたね。
娘のいないわが家ではあまり関係ない…、
ともいえないないな。
去年も「お雛様登場」という九想話を書いたように、
今年もテレビの横に出してあります。
しかし、今年は雛あられがない。
あられを買おうとしたら、
そのわきにあった甘納豆がおいしそうだったから、
と女房はそれを買ってきた。
もう甘納豆はありません。
女房が食べてしまった。
私も食べました。おいしかったです。
冷蔵庫に納豆があるからそれを置いておこうか。
お雛様、すみません。
「Uの蒲団が湿っぽいから洗ってきて」
と女房にいわれ、
近くのコインランドリーに持って行って洗った。
30キロ洗える回転式の洗濯機に、
敷き蒲団と掛け蒲団を入れ洗った。
入れ過ぎかなと思いながらも、
ええい、かまうもんか、と洗った。
お金は1,300円だった。
待ってる間、となりのBOOK・OFFでCDを見た。
フォルクローレのCDを1枚買った。
30分で終わり、乾燥機に入れた。
乾燥機は、5分100円、30分のお金を入れた。
終わって乾燥してなかったら、
追加すればいいと思った。
さわってみたら乾いてたようだったので、
それで終わりにして家に帰ってきた。
しかし、家で広げてみると四隅が少し濡れていた。
しかたないのでそのままにして、
ストーブをつけて乾かした。
これだけのことで、
私の貴重な休日を2時間とられた。
今日は、辻仁成の「冷静と情熱のあいだ Blu」
を読んでしまおうと考えていた。
いろいろあってまだ、半分は残っている。
江國香織の「冷静と情熱のあいだ Rosso」
は正月に読了した。
今日もケーナを沢山吹きました。
今朝、九想庵に訪れてくれた
旅人が4,000人を越えました。
ありがとうございます。
私がいくつのときだったのだろう。
おそらく23、4歳頃だった。
日記をいい加減に探したら、
そのときのことが見つからない。
必死になって探せばあるのかどうか…。
20代の日記は、大学ノートで10冊ぐらいあり、
それをきちんと見ている時間がない。
毎日書いていたわけではないが、
ほぼそれに近い状態で書いていた。
ウニャ・ラモスのケーナのコンサートが、
渋谷の青山学院のなんとかホールであり、
それに私は行った。
ウニャ・ラモスは、サイモンとガーファンクルの
「コンドルは飛んで行く」のバックでケーナを
吹いていた(たしか)人で、
私の憧れのケーナ吹きだった。
コンサートのことは別に書くとして、
私が坐った席の隣は女性だった。
私はその女の子をずーっと意識しながら、
ウニャ・ラモスのケーナを聴いていた。
コンサートが終わって、そのコに声をかけた。
あらためて正面から見ると、可愛いコだった。
コンサート会場を出て、二人で喫茶店に行った。
何を話したか覚えていない。
そのあと「おれのケーナを聴かせてあげる」
なんてこといって、代々木公園に行った。
夜の代々木公園で私はケーナを吹きましたね。
今考えると、恥ずかしくなります。
ただただそのコに、
いいかっこしたいということがみえみえです。
よく見ると、彼女はザックを持っていた。
「何それ?」と訊くと、
あの頃あった夜行列車「銀河」に乗って、
一人で京都に行くという。
「銀河」は各駅停車で岐阜まで行く電車だった。
「なんで一人で京都へ?」なんて私は訊かなかった。
おそらく失恋でもしたのだろう。
私はあつかましくも、
「おれも行っていいかな」といった。
「いいよ」と彼女がいってくれた。
私たちは代々木公園を後にして、東京駅に向かった。
京都に着くまで私たちは何を話したのだろう。
岐阜までも、
乗り換えてから京都までも鈍行列車だった。
京都で最初に降りたところは嵯峨野だったように思う。
嵯峨野のぽつんとあったうどんやでうどんを食べた。
銀閣寺なんかも行った。哲学の小道も歩いた。
あとはあまり覚えていない。
私は笑顔の可愛い女性と、
京都を歩いてることが不思議だった。
前日までは駒込の汚い四畳半のアパートで
自分の孤独を嘆いていたのだ。
嵐山にも行った。桜が満開だった。
ボートに乗った。
そこでも私はケーナを吹いた。
帰りは新幹線で帰ってきた。
行くときの「銀河」では、
私の体からきっちり数センチ離れて坐っていた彼女が、
新幹線では私の肩にもたれて寝ていた。
3月になりました。
もう10年以上前の3月のことですが、
私は、バイクで事故を起こした。
その日、業者の接待で酒を飲んだ。
前の会社では資材部だったので、
取引業者の接待がよくあった。
家に帰って、何かのことで女房とケンカをした。
いったん蒲団に寝たのに、
起きだしてバイクで出かけた。
ケンカのことが面白くなく、
友人に会いに行こうとした。
酔っぱらいはいやですね。
そんな時間に友人が起きてるわけないのに。
それで、路地から県道に出たところで
タクシーと激突した。
気がつくと、
防衛医大付属病院のベットの上。
まったく状況が分からなかった。
1週間で退院して松葉杖の暮らしが1ヶ月。
会社にはタクシーで通勤した。
会社のある場所は陸の孤島だった。
退院して、おまわりさんと現場検証をした。
彼の話だと、
タクシーとぶつかったバイクは、
タクシーを乗り越え大破し、
私は、タクシーの前方21メートルまで
跳ね飛ばされた。
見に来た野次馬たちは、
「この人、死んでる」といってたそうだ。
今こうして生きているのが、
不思議なくらいの事故だった。
身体障害者になっていてもおかしくなかった。
ヘルメットをしていたのがよかったようです。
深夜に警察から連絡を受けた女房は、
びっくりしただろう。
あのとき私の女房に対する立場は、
またひとつ弱くなった。
なにかあるごとに弱くなる私です。
女房の両親に詫び状を書いた。
子どもが小さいのに、
酔って事故を起こしてすみません。
もう2度としません。
なんてことを書いた記憶がある。
その事故で右足のすねの骨を折り、
膝の靱帯を切ってしまった。
私はふだん普通に歩いているが、
人がいないと右足を引きずるように歩いている。
そのほうが楽なんです。
ときどき右足がカタンと抜けるようなときがある。
靱帯がないせいでしょうか。
あの3月以後の私の人生は、
“おまけ”のようだと思うときがある。
私はあのとき死んでいた。
生きててよかった。