私の嫌いな音楽

2002年07月12日 | 音楽

私は音楽が大好きです。
クラシックからド演歌、なんでも受け入れます。
日本の民謡などしみじみ聴くと涙が出ます。
ヨーロッパの古い歌もいい。
フラメンコ、南米のフォルクローレ、うれしいです。

しかし、ひとつだけ好きじゃない音楽がある。
それは、ハワイアンです。
なんかハワイアンが嫌いだった。

今夜のNHKの8時から、
「金曜オンステージ・いっきにパラダイス」を
何の気まぐれか観てしまった。
▽夏一番・ハワイアン特集▽コニシキ・高木ブーも登場

いい音楽ですねハワイアン。
高木ブーのオリジナルのハワイアンソングがよかった。
また、最近ハワイアンのCDを発表したコニシキが
男性コーラスをバックに「エイ・ネイ」を歌ったのもいい。
ハワイで行われたフラダンスの大会で
優勝した経験を持つ井上真紀の歌も踊りも素敵だった。。
ハワイから来た4人グループ。
ウクレレでメロディーを弾く、じいさん。

うあ~、ハワイアンっていいな、と思った。
高校生の頃なぜかウクレレを弾いていた。
また弾いてみたい。
これで私は、嫌いな音楽がなくなってしまった。

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眠たい

2002年07月11日 | 暮らし

以前にもこの標題で書いたことがあるな。
慢性的な睡眠不足です。
書きたいことはありますが、
今日は寝ます。

ミュージックカクテル「陽水が語る30年」
(NHK 23:15)のこと書きたかった。
陽水の曲は、私の暮らしの…。

寝ます。

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67歳の新人

2002年07月10日 | 小説 エッセイ

文學界6月号に、
文學界新人賞の発表が載っていた。
今回受賞された人は2人で、
その1人、北岡耕二さんは67歳だ。
電通を定年退職して現在無職。

「………社会人となり、物書きは中断。
 あれから四十年余が経っている。
  恥も知り、あまりバカもしなくなって、
 念願だったこの賞を頂けることになった。
 心中、志だけは棄てたことがなかっただけに、
 正直、うれしい。………」
受賞のことばの、
「志だけは棄てたことがなかった」
この言葉が私にとって重い。

受賞作は、『私の好きなハンバーガー』。
駅に隣接した、
地面より一段低いハンバーガー店に、
毎日老人男性が集まっている。
そこへ1人の老婆が現れる。
彼女は気が向くと老人の1人を指名して、
幌付きの車で屋敷に連れていって………。
老人の性を書いているが、
清潔でさっぱりしている。

小説を読んで思った。
「志だけは棄てない」と。

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音楽クイズ

2002年07月09日 | 友人

さっきまで楽家で飲んでた。
いつものバンドの仲間とです。
KIMさんが「こんなクイズがある」といった。
ドレミファソラシドと音階を口でいい、
最後のドの音の音程を少し上げた。
「これどこだ?」
「………」
「たかいど(高井戸)」

こんどはシの音を少し音程を高くする。
「………」
「しもたかいど(下高井戸)」

東京のローカルな話題ですみません。


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不安定

2002年07月08日 | 暮らし

私が新所沢整形外科から帰ってきたら、
女房がいた。
(なんでいるの?)と思った。
朝、今日は居酒屋のバイトだよ、といわれてた。
それで、会社からの帰りに
小僧寿司で息子たちの晩飯を買った。
めんどうくさいな、と思いながら買ってきた。
「メール見なかった?」と女房が冷たくいう。
「おれ今日電源入れてなかった」

私は朝、ケータイのアラームを鳴らす。
たいがいその前に起きてるが、
ケータイにはアラームの設定をしている。
なぜか今日はそのあと電源を切った。
会社に着いたら電源を入れればいいと思ってた。

私は、6月から6時に起きている。
親会社から来る素板(ガラス)の納品の検品をする。
6時に起きればいいのに、
なぜか5時頃目が覚めてしまう。
なにしろ私ひとりだけが検品をするので、
遅刻するわけにいかない。
かなりのストレスが心にある。
慢性の睡眠不足だ。
会社に着くと、大型トラックが来ていた。
急いで着替えて、トラックから素板のパレットを
フォークリフトで降ろす。
それでケータイのスイッチを入れるのを忘れていた。

女房は「なんでケータイ持ってて電源入れてないの?」
とよくいう。
そういわれればそうだ、が…。
人生いろいろある。
いろいろ生活がとっ散らかっていると、
そういうおかしなことがしょっちゅうだ。

おれは今日、素板を検品したあと、
大井倉庫にナベジーといった。
キャスターなしの台車に載せてあるリアグラスを
キャスターありの台車に載せかえた。
これが過酷な労働なのです。
1.2mx1.5mぐらいの大きさのガラスを手で持って載せかえる。
倉庫には冷房なんてない。
この夏一番の暑さの中で、汗みずくになって仕事をした。

それで会社の帰りに、しょうがないと思いながら、
息子たちの晩飯を買ってきた。
今日の仕事(ガラスが重い)で腰が痛くなり、
マッサージをしてきた。
そのあげくに、「メール見なかったの」はない。
「バカ野郎」と大声で叫びたかった。

あとでそのメールを見たら、
友だちと今日と明日のバイトを交換したと
書いてあった。
ということは、明日家にいないのだ。
勝手にしろ。

今のおれがどんな思いで仕事をしてるのか…。
現在私の居場所がない。
はっきりしていない。
クビにはならないと思うが、不安定な状態なんです。
親会社のガラスメーカーが、
営業の失敗で売れてる車のモデルチェンジのあとの
注文を他社にとられた。
それで今年はかなり受注減になっている。
50歳でこの状態、たまんない。


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ライブが終わって

2002年07月07日 | 音楽

昨日のライブ、
私は高田渡の3メートルぐらい前で聴いた。
高田渡が、曲が終わって何かいうたびに、
私は頷いたり、返事したり、突っ込みをいれた。
なんか彼とふたりだけの世界にいるようだった。

懐かしい曲を聴いた。
彼のギターがいい。

♪三条~に行かなくちゃー
こんなのを聴くと胸が熱くなる。

ライブが終わって彼は、
テーブルに体をあずけて寝ていた。
心を決めて話しかけたら、
「あとにして」といわれた。
そうとう疲れているみたいだった。

打ち上げ、高田渡が元気になった。
いろんな話をした。
私は隣に坐り、私の想いを話した。
ギターの弾き方を教わった。
間違えると頭を叩かれた。

何時頃まで飲んでたのだろう。
楽しかった。
しかし、酔っぱらいは損だ。
楽しかったいろんなこと、たくさん忘れてしまった。







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高田渡ライブ

2002年07月06日 | 音楽

7月6日高田渡のライブがBROCKHEADSであった。
高田渡は、ある意味では、
私の“神様”みたいなようなものです。
眠いので寝ます。



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女房の“本業”

2002年07月05日 | 家族

先週の土曜日に、女房たちが作っている
フラメンコ舞踊団
「エル・フェイベスフラメンコ」
の今年の初仕事があった。
「フェイベス」というのは木曜日という意味で、
木曜日のカンテ(歌)を練習している
生徒たちで作っているからだ。
メンバーは、ギター1人、カンテ1人、踊り手4人。

入間市の丸広百貨店の中にあるホールで踊った。
詳しいことは知らないが、
ある会社のパーティーのアトラクションに
呼ばれたらしい。
250人ぐらいいたらしいが、
9割の人はフラメンコを観てなかったという。
だから女房たちは、
のびのび大胆に踊れたという。

1ヶ月前ぐらいから大変だった。
日曜日もスタジオを借りて練習していた。
そうまでしても人前で踊りたいという。
あらためてフラメンコが好きなんだと思う。

あと8月に2回あるという。
7月から練習日が金曜日に変わった。
それで今夜は練習に行った。
さっき帰ってきた。
練習が終わってから先生と
1時間も立ち話をしていたという。
「どこかに行って話せばいいものを」というと、
「それが女なのよ」と嬉しそうにいう。

なにかのイベントで
「エル・フェイベスフラメンコ」に
踊ってもらいたいという人がいましたら、
メールを下さい。

エル・フェイベスフラメンコ営業担当 九想

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仕事

2002年07月04日 | 会社・仕事関係

にんげんドキュメント
「響け若き個性」(NHK 21:15)を観た。
指揮者の小沢征爾が
日本の若者を一流の音楽家に育てるために
立ち上げた「小沢征爾音楽塾」の1ヶ月の記録だった。
高校生から音大を卒業したセミプロまで、
九人の若者が厳しい指導を受けていた。

ふと思い出し、田舎の兄に電話をした。
母の誕生日には電話しようと思っていた。
「その後、どう?」
兄の会社では今年リストラがあり、
大規模な希望退職の募集があった。
田舎で会社を辞めては転職先はないので、
多くの人は退職しなかったようだ。
そのあとに行われたのが、配置転換だった。
兄は、茨城工場の製品出荷担当から、
栃木工場の製造に回された。
茨城、栃木、埼玉に勤務する人を、
九州に転勤させるということもあったらしい。
イヤだったら「辞めろ」ということだ。

「冷房のないところで1日中立ちっぱなしで、
 イヤになっちゃうよ」
兄も私と同じで、製造現場に似合わない人間だ。
出荷担当のときは、
パソコンで商品の管理などをしていたらしい。
今回のリストラでその出荷業務は
外注の会社に移したという。

「単調な作業で時間が長がっぺ」
「まいんち(毎日)辞めっかと思ってるよ。
 でも、母ちゃんもいるし、
 無職じゃしょうがねえもんな」
「おれも製造のときはそう思ってだよ。
 去年の今頃は血尿が出で大変だった。
 ところで今日は母ちゃんのところ行ってきたのがな」
「行ってきた。最近遠くなっちゃったから
 まいんち行ってねえんだ。
 母ちゃんに『誕生日だよ』っていったら、
 『そんなに歳とったのがァ』っていってたよ」
母は今日で88歳になった。米寿のお祝いだ。

「まっ、あんちゃん、たいへんだげど、
 お互いがんばっぺ」
そういって電話を切った。

テレビでは若い男女の真ん中で
小沢征爾が指揮をしている。
小沢は音楽の仕事をしている。
若いときから努力して得た仕事だ。
彼に指導されている若者たちも
これからがんばって
音楽でメシを食っていくのだろう。
しかし、小沢もいっていたが、
音楽で生きていくことはたいへんだ。
世界中に音楽を勉強している人は沢山いる。
その中で何人が
聴衆の前で演奏して生きていけるのか。

好きなことを仕事にして生きている人が
うらやましい。
その人たちは努力してきたのだ。
私は努力してこなかった。
これが情けない。

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バンドの練習

2002年07月03日 | 音楽

今夜も7時半から、
新所沢公民館でバンドの練習があった。

私は整形外科で腰のマッサージを受け、
家でビーシュを飲んで出かけた。
マッサージが7時10分で終わり、
飲みはじめたのが7時15分、
家を出たのが7時25分、忙しかった。

ケーナで1曲やれとKIMさんがいうので、
長渕剛の「ひまわり」をやることにした。
この曲はどう考えても、フォルクローレだ。
昨夜、メロディーを採譜して、
KIMさんにテープと楽譜を渡した。
こんどの練習までにアレンジしてくるという。
楽しみだ。

練習を始める前に階下の喫煙所でミーティング。
(私は煙草は吸わなかったよ~)
KIMさんは、デカイ肉まんを持ってきていて、
それをみんなで食べた。うまかった。
このバンドの“影”のリーダーが買ってくれたそうだ。

ここ1ヶ月ほど付き合ってきたが、
KIMさんの音楽に対する考え方が好きだ。
プロとして生きてきたKIMさん。
いろんなことを経験してきただろう。
「音楽を楽しもう」という姿勢がいい。
練習中きびしいことをいうときもある。
でも、ふだんはバカなことをいっている。
今日は、ソプラノサックスを持ってきていた。

練習が終わって、いつもの楽家。
家に帰ってきたのが12時半を過ぎていた。

今日は、息子たちの誕生日だった。
明日は、おふくろの誕生日だ。
眠い。


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