昨日は、休みで昼に狭山市の公民館の文化祭に行った。
私の陶器が展示してあったからです。
夜、陶芸仲間としんちゃんちで飲んだ。
楽しかった。
そのあとを覚えていない。
なんにも記憶がない。
私の陶器が展示してあったからです。
夜、陶芸仲間としんちゃんちで飲んだ。
楽しかった。
そのあとを覚えていない。
なんにも記憶がない。
今夜のラジオ深夜便「にっぽんの歌・こころの歌」”真夜中の夢の競演”は、
「高石友也&ザ・ブロードサイド・フォー」だった。
高石の「友よ」「おいで僕のベットに」が流れた。
私が高校生の頃、「友よ」はよくうたった。
友人たちの真ん中でいつもギターを弾いてた。
「おいで僕のベットに」をうたいたくて、
必死になってギターのスリーピッキング奏法を練習したな。
♪ おいでよ僕のベットに
僕の可愛いひとよ
二人の愛の夜を
一緒に過ごそうよ
(ネットで調べましたが、作曲、訳詞者が分からなかった。
訳詞者は中川五郎かなとは思うのだが…、
著作権の関係でこういうときは必ず書かなければいけないですよね。
ご存知の方は教えて下さい)
片想いばかりで女性と付き合ったことなどない私は、
この歌をうたいながら、いつかそうなることを夢見ていた高校生でした。
「高石友也&ザ・ブロードサイド・フォー」だった。
高石の「友よ」「おいで僕のベットに」が流れた。
私が高校生の頃、「友よ」はよくうたった。
友人たちの真ん中でいつもギターを弾いてた。
「おいで僕のベットに」をうたいたくて、
必死になってギターのスリーピッキング奏法を練習したな。
♪ おいでよ僕のベットに
僕の可愛いひとよ
二人の愛の夜を
一緒に過ごそうよ
(ネットで調べましたが、作曲、訳詞者が分からなかった。
訳詞者は中川五郎かなとは思うのだが…、
著作権の関係でこういうときは必ず書かなければいけないですよね。
ご存知の方は教えて下さい)
片想いばかりで女性と付き合ったことなどない私は、
この歌をうたいながら、いつかそうなることを夢見ていた高校生でした。
気がつくと、九想話をブログにして1年がたった。
日々の閲覧数は、100~220というところだ。
なかなか増えないです。
ブログにしてなにがよかったかというと、
日々の作業が楽になった。
携帯電話からも書き込める。
ということですね。
しかし、ページのデザインを自分の好きなようにできないのが辛い。
お金を払うと出来るようですが、今のところこのままにします。
九想話の数が多くなったら、有料にしようと考えてます。
明日からも私の日常のなんでもないことを綴っていきます。
みなさま、お付き合い下さい。
日々の閲覧数は、100~220というところだ。
なかなか増えないです。
ブログにしてなにがよかったかというと、
日々の作業が楽になった。
携帯電話からも書き込める。
ということですね。
しかし、ページのデザインを自分の好きなようにできないのが辛い。
お金を払うと出来るようですが、今のところこのままにします。
九想話の数が多くなったら、有料にしようと考えてます。
明日からも私の日常のなんでもないことを綴っていきます。
みなさま、お付き合い下さい。
次にカーナビに設定したところは日光東照宮だった。
東照宮というのは日光山の中の一部なんですね。
知らなかった。
私はこれまであのあたり全体を東照宮と呼んでいました。
他に、輪王寺、二荒山神社、輪王寺大猷院廟があるんですね。
私は、逍遥園という庭が一番よかった。
木々が紅葉しとても綺麗だった。
4時半、日光山の駐車場を出た。
それから、やしおの湯というところで温泉に入って帰ろうとしたが、
カーナビの読み違いか日光宇都宮道路に入ってしまった。
義母には申し訳なかったが、時間も時間だし、そのまま帰ることにした。
大谷PAに寄り、女房たちが食事している間、私は車で横になった。
私は長い間運転していたので疲れていた。
高速道路で睡魔に襲われたら怖い。
10分ほど目をつぶっていただけでかなり楽になった。
大谷PAを出ていっきに所沢ICまでカーナビに従って飛ばした。
東北道、外環を通って関越自動車道に入った。
初めての道だったが、カーナビのおかげで迷わなかった。
こういうときつくづくカーナビはいいな、と思った。
今回で私は日光に行ったのが4回目になる。
最初が小学6年の修学旅行でした。
2回目が高校3年のとき、ブラスバンドの仲間5、6人とでバイクで行った。
3回目が息子たちが小学4年のとき家族で訪れた。
それぞれにいろいろな思い出があります。
8時前に家に着いた。
事故もなく家に帰れたのがよかった。
義母も行きたかった紅葉の日光に行って満足したようでした。
女房は11月4日にある友人の結婚式で踊る
フラメンコの練習があると、スタジオに出かけた。
常に元気で、フラメンコのことしか考えない女房である。
東照宮というのは日光山の中の一部なんですね。
知らなかった。
私はこれまであのあたり全体を東照宮と呼んでいました。
他に、輪王寺、二荒山神社、輪王寺大猷院廟があるんですね。
私は、逍遥園という庭が一番よかった。
木々が紅葉しとても綺麗だった。
4時半、日光山の駐車場を出た。
それから、やしおの湯というところで温泉に入って帰ろうとしたが、
カーナビの読み違いか日光宇都宮道路に入ってしまった。
義母には申し訳なかったが、時間も時間だし、そのまま帰ることにした。
大谷PAに寄り、女房たちが食事している間、私は車で横になった。
私は長い間運転していたので疲れていた。
高速道路で睡魔に襲われたら怖い。
10分ほど目をつぶっていただけでかなり楽になった。
大谷PAを出ていっきに所沢ICまでカーナビに従って飛ばした。
東北道、外環を通って関越自動車道に入った。
初めての道だったが、カーナビのおかげで迷わなかった。
こういうときつくづくカーナビはいいな、と思った。
今回で私は日光に行ったのが4回目になる。
最初が小学6年の修学旅行でした。
2回目が高校3年のとき、ブラスバンドの仲間5、6人とでバイクで行った。
3回目が息子たちが小学4年のとき家族で訪れた。
それぞれにいろいろな思い出があります。
8時前に家に着いた。
事故もなく家に帰れたのがよかった。
義母も行きたかった紅葉の日光に行って満足したようでした。
女房は11月4日にある友人の結婚式で踊る
フラメンコの練習があると、スタジオに出かけた。
常に元気で、フラメンコのことしか考えない女房である。
華厳の滝の駐車場に着いたとき義母は、
「エレベーターで下まで降りなくてもいい」といっていた。
上からも滝は見える。
足腰が弱くなっているからあまり歩きたくない、らしい。
「下から見上げる滝はいいですよ」私は勧めた。
「お母さん、行こうよ、いこうよ」女房はせき立てる。
エレベーターは100メートル降りた。定員31人だった。
エレベーターを出てトンネルを5、60メートル歩くと、
滝を展望するところに着いた。
そこに立った義母の顔が輝いた。
「すごいね。水が豊富だね」
展望台から見える山の木々の紅葉も綺麗だった。
私たちは華厳の滝をあとにして、お土産屋の並ぶ道を散策した。
温泉饅頭を3個買って食べたりした。
義母が団地の隣の人にお土産を買わなくちゃ、と
日光たまり漬けの店に入った。
試食が40何食あった。楊子で刺していくつか食べた。
おいしかった。しかし、
それぞれの袋の裏の原産地を見ると「中国」と書いてあった。
ワラビは「ロシア」なんて書いてあった。
おそらく日本で採れたものは使ってない。
しかたないですね。生きていかねばなりません。
中禅寺湖まで私たちは歩いた。
太陽に輝いてきれいだった。
(つづく)
「エレベーターで下まで降りなくてもいい」といっていた。
上からも滝は見える。
足腰が弱くなっているからあまり歩きたくない、らしい。
「下から見上げる滝はいいですよ」私は勧めた。
「お母さん、行こうよ、いこうよ」女房はせき立てる。
エレベーターは100メートル降りた。定員31人だった。
エレベーターを出てトンネルを5、60メートル歩くと、
滝を展望するところに着いた。
そこに立った義母の顔が輝いた。
「すごいね。水が豊富だね」
展望台から見える山の木々の紅葉も綺麗だった。
私たちは華厳の滝をあとにして、お土産屋の並ぶ道を散策した。
温泉饅頭を3個買って食べたりした。
義母が団地の隣の人にお土産を買わなくちゃ、と
日光たまり漬けの店に入った。
試食が40何食あった。楊子で刺していくつか食べた。
おいしかった。しかし、
それぞれの袋の裏の原産地を見ると「中国」と書いてあった。
ワラビは「ロシア」なんて書いてあった。
おそらく日本で採れたものは使ってない。
しかたないですね。生きていかねばなりません。
中禅寺湖まで私たちは歩いた。
太陽に輝いてきれいだった。
(つづく)