渋谷の夜は暖かかった

2010年04月06日 | 健康・病気


東京の女房の家に行く前に、以前住んでいた所沢の団地に行きました。
団地の隣の中央公園の桜を見たかったからです。
咲いていましたね。
ここでは昔、楽家の花見を何度かやった。
あのときは楽しかった。

清瀬の家に行き、スーパーで買ったトンカツ弁当を食べていると、
女房から電話が来た。
「今夜、友だちがライブを渋谷でやるからいかない?」
おれは、「ああいいよ」という。
昨日は、「ナンジャタウン」「スパラクーア」「エプソン品川アクアスタジアム」
のどれかに行こうか、といわれていた。
おれはネットで調べて、「エプソン品川アクアスタジアム」がいいと思っていた。
そこは水族館だった。

布団を敷き、昼寝をした。
女房の家にはコタツがないのでこうした。
4時に目が覚め、しばらくラジオを聴いていて、バスに乗ったのは5時だった。
6時半に渋谷のハチ公前で待ち合わせというベタな約束をしていたが、
果たしてその時間までに行けるのか心配になった。
有楽町線の小竹向原に着く頃女房にメールをすると、
「今、会社から出た」と返事が来た。
「それじゃ、池袋に来て」とメールを打った。
まもなく有楽町線池袋駅のホームで女房と会った。
JRの池袋駅に上がり、山手線に乗った。
通勤帰りの人でごった返していた。

久しぶりの渋谷駅は、これまたものすごい人・ヒト・ひとだった。
ここは21から23歳歳の頃は通勤の通過駅だった。
仕事が終わって帰るとき、よく渋谷の街をぶらぶらした。
よくジャズ喫茶によっていた。
7時にライブをやるカサ・デ・ヴェノに入った。
狭いイスに坐りビールを飲んだ。
女房はフラメンコを見るので楽しそうだった。
今夜ここで踊るのは女房の友だちです。
8時過ぎ、ライブが始まった。

一部が終わって帰ろうと女房と話していたが、
休憩のときに女房の友人とギターのNさんが席に来た。
いろいろ話した。
おれは、Nさんと近況とかフラメンコギターのことを話した。
いつかフラメンコギターを覚えたいことをいう。
ホントは、6月のパンカーラでやる「わいわいがやがや」で弾きたいのだが…。

結局、帰りそびれたので二部も見ることになった。
Nさんのフラメンコギターはいい。
彼は現在、ギターだけで暮らしている。
踊る人の数より、ギターをやる人が少ないのでそこそこ仕事はあるらしい。
なんとか食っていけるそうだ。







10時前にライブは終わった。
渋谷の街は相変わらずものすごい人間であふれている。
交差点で青信号を待っているとき、
30ナン年か前の自分の姿を見ていた。




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困った

2010年04月05日 | 健康・病気
このまま行ったら日本はどうなるんだ?
沈んでいくのだろうか?
良い話がなんにもない。

やっと政権交代したというのに、
その内閣支持率が落ちている。
あたりまえですね。
あの2人が民主党の“顔”になっていてはダメダ。

自民党もあの人たちが上ではいけません。
“顔”が良くない。
貧相な人相です。

そんなところから飛び出す人もいる。
しかし、おれには飛び出す理由が分からない。
新党を作ってなんかいいことがあるのだろうか?
本人たちはどう思っているか知らないが、
まったく魅力のないおじいちゃん政党ができるのだろう。

何が分からないって、
小選挙区で落ちて、自民党の比例区で復活当選した人が離党する。
おれにはこのことが理解できない。
議員を辞職してから離党するなら納得できるのだが?

その他の党もすべて共感できない。

今のおれをこんな気持ちにさせないでくれ。
これでも少しは政治に夢をもっていたおれだ。
こんな気持ちに紛れ込むと、夏の参院選挙には棄権したくなる。
だって、誰に一票を入れたらいいんだ?
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2010九想庵の誕生日

2010年04月04日 | 健康・病気
九想庵を立ち上げたのは、2001年の4月4日の深夜です。
今日で9歳になるんですね。
誕生日のお祝いをしなくちゃいけないのでしょうが、
茹でたホタルイカ(244円)とコロッケ(49円)で“祝杯”です。

それまでは、九想話をASAHIネットの
「かしの木談話室」というところに書いていた。
ここはインターネットなどないときからあった
パソコン通信の会議室というものでした。

私がパソコンを買ったのが40歳のときで、
すぐパソコン通信にはまってしまった。
ニフティサーブとASAHIパソコンネットに入って、
いろんなフォーラムや会議室に書き込んでいた。
メールという存在が嬉しくて毎晩何人かの人にメール書いていた。

ASAHIネットは、ASAHIネット会員しか入れないので
誰にでも読んでもらえる自分のホームページを持ちたかった。
試行錯誤して48歳の4月4日の深夜にやっと九想庵を作った。

現在は、九想話は更新しているが、
その他のページはまったく何もしていない。
更新しなくてはと考えてはいるが、
日々、九想話を書くだけで手一杯です。
せめて俳句のページはこれまでの句を載せたいのですが、
ちゃんと記録をとってないのでまとめようもない。
救いようがありません。


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タモリ倶楽部

2010年04月03日 | 健康・病気
今夜、久しぶりに観た。
ネットのテレビ番組に載っていてその時間にテレビを観るとやってない。
そんなことを軽井沢に来て何度も繰り返してきた。
大好きな大好きなテレビ番組が観られなかった。

今夜のテレビ番組表に書いてないのだが、
なんとなくテレビ朝日(長野では何放送なんだろう?)を観たらやっていた。
なんでなんだ。
昔から“流浪の番組”とタモリはいっていたが、そのとおりだ。

今日は、ブラジルの“タンバリン(テレビでは違う呼び方だった)”
の名人が出ていた。
あんな打楽器が素晴らしいリズムを刻んでいた。

あ…、素晴らしいなと思った。
おれは一緒に、コタツのテーブルを叩いていた。
おれは、パッカションが好きだ。

1年以上ぶりに、「空耳アワー」を観た。
あ…、これまでどれだけ会いたかったことか。
やっと観られた。
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ユリ

2010年04月02日 | 健康・病気
ユリ


今一番気に入っているフォルクローレの曲です。
これを、6月にパンカーラでやる「ワイワイガヤガヤコンサート」で
吹きたいと思っている。

これはsay1さんからもらったCDの中に入っていた。
こんな曲があるのかと意外だった。
say1さんは、「日本の演歌みたいな曲でしょ」という。
そうかも知れないが、私が今一番好きな曲です。



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小田和正

2010年04月02日 | 健康・病気
昨日(4/1 23:59 ~ 01:29 微妙な時間)
「クリスマスの約束再会」(TBSテレビ)
「寄せられた多くの反響に感謝して2009特別編をお届けいたします…小田和正」
というテレビを観た。

アイ
アクアタイムズ
いきものがかり
キマグレン
クリスタル・ケイ
財津和夫
佐藤竹善
清水翔太
ジュジュ
スキマスイッチ
鈴木雅之
スターダストレビュー
中村中
夏川りみ
一青窈
平原綾香
広瀬香美
藤井フミヤ
松たか子
山本潤子
小田和正

こんだけのアーティストがそれぞれの持ち歌のあるフレーズをうたい、
それをつなげた。
曲の間に何回か、小田和正のこのライブのために作られたと思う曲があった。

なんなんだろう?
おれは、涙が流れてしかたがなかった。
知らない曲もいくつもあった。
こんなにいい歌があったのかと、自分の無知を嗤った。
小田和正っていいことやるな。
財津和夫と以前、NHKのSONGSで2人で出ていたのを観た。
むかし、ライバルだったけど、今は仲がいいらしい。
鈴木雅之、藤井フミヤ、松たか子、山本潤子がいることが興味深かった。
コメント (4)
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ジュリー&ワイルドワンズ

2010年04月01日 | 健康・病気
昨夜、SONGS(NHK総合 22:55 ~ 23:25)に、
沢田研二とワイルドワンズが出ていた。
「ジュリーウィズザ・ワイルドワンズ(1)
 渚でシャララ・涙がこぼれちゃう・GS名曲も」という番組だった。
(来週は、ジュリーウィズザ・ワイルドワンズ(2)をやる)

沢田研二とワイルドワンズが、「ジュリーウィズザ・ワイルドワンズ」
というスペシャルバンドを作った。
何年か前に、沢田研二とワイルドワンズが武道館でコンサートをやった。
いや、ワイルドワンズのコンサートに沢田研二がゲストとしてうたった。
そのときのことが今回につながっていると沢田がいっていた。

沢田がうたうタイガースの曲が久しぶりだった。
ジュリーは、それらの曲をうたうのを避けていたのかと思っていた。
沢田のバックは、若いバンドが勤めていた。
中学生の頃を思い出してしまった。しかし、
ちょっとジュリーがふくよかになってしまったのがな~。
でも、おれはそれを指摘できない。
なぜならおれが太ってしまった。

楽しい30分だった。

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ここまで書いてUPしたら、4月2日1:50からこの番組を再放送していた。
おれは、なんの考えもなくただ観てしまった。

あの頃の歌はいいなァ~。
それまで橋幸夫とか舟木一夫、西郷輝彦の歌謡曲が流行りだった。
おれは、あまり好きではなかった。
兄は舟木一夫が好きでレコードを全部持っていた。
そんなときにベンチャーズのエレキの曲が世間を席巻し、
ビートルズの曲が日本に流れ、邦楽としては、
ザ・スパイダーズ、ブルー・コメッツが出てきた。
おれは中学生だったけど、新しい時代が来たと感じた。

そんなときに、ワイルドワンズ、タイガーズが出てきた。
そのあとに、ゴールデン・カップス、ジャガーズ、カーナビーツ、オックス
いろいろ出てきましたね。

そのときのおれは、茨城の貧しい百姓の家庭にいましたが、
グループサウンズの曲を聴いているときは幸せだった。
なんか明るい未来を感じてしまった。
中学3年のとき、小遣いを貯めてギターを買った。
おれの家から7キロ離れたところの岩瀬駅に自転車で行き、
そこから2駅目の下館駅まで行った。
そこにある楽器屋でギターを買いました。
5,000円だったと思う。
嬉しかった。
しかし、買ったのはいいが、あまり弾かずにぶん投げていた。

かなり必死に弾き始めたのは、高校生になってからだ。
ブラスバンド部の先輩がクラブの練習が終わるとギターを弾いていた。
それまでギターを目の前で聴いたことがなかった。
生身の人間がギターを弾いているのはショックだった。
おれでも弾けるのではないかと思った。
それで、なんとかコードは弾けるようになりました。

タイガースの「花の首飾り」という曲の楽譜が雑誌の中にあり、
その最初のAmというコードをアルペジオで弾いた。
すると、レコードとおんなじ響きがあった。
おれは、それだけで感激した。
ギターを弾けるようになろうと決心した。
しかし、それだけです。
おれは、ギターのコードだけしか弾けません。

こんなに酔っぱらって何を書いているんだろう。
寝なくちゃならない。
おれにも明日がある。

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