唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

死地

2006-09-01 20:28:53 | Weblog
宰相盧杞にとって、顔眞卿は煙たくてしかたがなかった。

常に正論をとなえて、左遷されても譲ることがない。

他の諸卿は杞を憚るが、眞卿は直言してくる。

杞の父が殺されたとき、埋葬してくれた恩があるので

無碍には排除することもできない。

建中四年諸鎭の反乱はますます勢いを増してきた。

「李希烈をどうしたらよいだろう」

と皇帝から諮問があった。

杞はこれ幸いとばかり答えた。

「希烈は若く、剽悍で功績があり、驕り高ぶっています」

「普通の者にはそれを諫めることなどできません」

「ただ長老で功績の高い重臣が行けばなんとかなるでしょう」

「それは誰だ」と帝

「三代の功臣として名が高い、眞卿様しかおられません」

「そうか。卿に御足労願おうか」

それを聞いて朝廷は騒然とした。

李希烈のもとなどに行けば、良くて虜囚、悪ければ殺されるだけだ。

しかし眞卿は降命を受けると直ちに出発した。