「大変、大変でございます」
「騒々しい何事だ」
「郭太后様が勤政樓より落ちらて亡くなられました」
「なに!」
大中二年のことである。
憲宗の妻であり、穆宗の母である郭太后が投身自殺した。
時の皇帝宣宗はやはり憲宗の子で鄭氏の子である。
宣宗は憲宗の暗殺事件に郭太后がからんでいると疑っていた。
しかも鄭氏は、かって郭太后の侍女であるがゆえの恨みをもっていた。
そのため太后にたいして極めて冷たい態度を示していた。
太后自身も、傍系より即位した宣宗に対する反感を示していた。
「朕にたいしての当てつけか」
と宣宗は激怒した。
そして禮院官達の反対をおして
憲宗陵へ合葬せず、側地に埋葬することとした。
「騒々しい何事だ」
「郭太后様が勤政樓より落ちらて亡くなられました」
「なに!」
大中二年のことである。
憲宗の妻であり、穆宗の母である郭太后が投身自殺した。
時の皇帝宣宗はやはり憲宗の子で鄭氏の子である。
宣宗は憲宗の暗殺事件に郭太后がからんでいると疑っていた。
しかも鄭氏は、かって郭太后の侍女であるがゆえの恨みをもっていた。
そのため太后にたいして極めて冷たい態度を示していた。
太后自身も、傍系より即位した宣宗に対する反感を示していた。
「朕にたいしての当てつけか」
と宣宗は激怒した。
そして禮院官達の反対をおして
憲宗陵へ合葬せず、側地に埋葬することとした。