唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

邠寧節度使 その2

2012-01-18 19:09:16 | Weblog
・大暦14年[779年]郭子儀は太尉となって引退し、朔方・河中・振武・邠寧は配下達に分割された。
邠寧節度使が再置され李懷光が河中とともに統治した。
・建中4年[783年]李懷光配下の韓遊瓌は朱に囲まれた奉天城を救援したが敗北した。
・興元元年[784年]李懷光が叛すると韓遊瓌が節度使となり、征討にしたがった。
・貞元2年[786年]吐蕃が来寇し激戦となった。
・貞元3年[787年]遊瓌の子欽緒が謀叛に連座したが、遊瓌は罪に問われなかった。
・貞元4年[788年]吐蕃の来寇に際して軍の統治が困難となった遊瓌は鎭を棄てて帰京した。
軍乱が起こったが将軍張獻甫は赴任することができた。
・貞元9年[793年]諸軍と協力して鹽州城を築いた。これにより吐蕃の侵入は困難となった。
・貞元12年[796年]獻甫は亡くなり、將楊朝晟が昇格した。宗皇帝時代は節度使の長期留
任と軍の意向による後任決定が続き、唐朝の力は虚弱であった。
・貞元13年[797年]楊朝晟は邠寧軍のみの力で、方渠・合道・木波の三城を築き、吐蕃の
侵攻路を閉鎖した。これにより京師は安泰となった。
・貞元17年[801年]朝晟が亡くなると再び継承の軍乱が起こった。結果として高固が立った。

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