唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

河東節度使 その5

2012-01-25 10:31:25 | Weblog
・廣明元年[881年]、黃巢が京師に迫り、北邊では沙陀李國昌・克用父子が反乱していた。
2月混乱の極地にあった河東節度使に宰相鄭従讜は自ら選んだ幕僚と共に赴任した。
従讜は温厚でしかも辣腕であり、牙軍の有力者を撫して登用し、乱者を巧みに排除してまも
なく鎮めることに成功した。
・中和二年[882年]には李克用を帰順させ京師回復に送り込むことに成功した。2
・中和三年[883年]京師回復に大功をあげた李克用は河東節度使に任じられた。
克用はその後潞州を制圧するなど急速に勢力を伸ばした。
・中和四年[884年]克用は深怨のある宣武朱全忠を伐とうとしたが唐朝はこれを止めた。
・光啓元年[885年]河中王重榮を支援して、宦官田令孜が動員した邠寧・鳳翔など唐朝軍を破った。
・龍紀元年[889年]邢州孟方立を攻め、邢州を傘下に収めた。
・大順元年[890年]朱全忠が主唱した討伐軍(宰相張濬の率いる邠寧や華州など唐朝軍や、
幽州・成徳など河北勢、朱全忠)の包囲攻撃を受けたが、唐朝軍を大破し、潞州に入った朱全忠軍を撃退した。
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