唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

義武軍[易定]節度使 その1

2012-01-06 20:29:04 | Weblog
・建中二年[781年]成徳李寶臣が卒し、子惟岳が自立しようとしたが唐朝は認めず。
魏博田悦は支援したが、幽州朱滔は唐朝に付いた。征討軍の包囲攻撃により情勢は不利
であった。成徳の驍將張孝忠は易州刺史であったが朱滔の勧めを入れていち早く帰順した。
・唐朝は孝忠に易定滄の三州節度使を与え、三年[782年]義武軍の號を与えた、
滄州は間に幽州節度の瀛・莫州をはさみ統治困難な上に程日華が自立したため失わ
れて易定二州が管轄となった。
・孝忠は建中三年に朱滔や王武俊が叛した後も唐朝に味方し、幽州・成徳を牽制
する功績をあげ興元元年[784年]使相に列せられた。
・貞元七年[791年]孝忠は卒し、子昇雲[賜名されて茂昭]が自立するが、
その位置の重要性から唐朝はこれを認めた。