唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

成徳節度使 その1

2012-01-27 10:52:42 | Weblog
・寶應元年[762年]史朝義の恆州節度使張忠志は趙定深恆易五州をもって副元帥僕固懷恩に歸順し、
旧領を与えられ恆州刺史成軍節度使に任ぜられて、李寶臣と賜名された。
唐朝は乱に疲弊しており早期の終結を望んでいたためである。
・魏博田承嗣・相衛薛嵩・盧龍李懷仙等と結び半独立体制を作っていった。
・大暦三年[768年]盧龍李懷仙が殺され、朱希彩が自立した。寶臣はこれを伐ったが勝てなかった。
・大暦十年[775年]魏博田承嗣が反した。寶臣は淄青李正己とともに唐朝方について承嗣を破り
滄州を得たが追いつめることはしはなかった。
・寶臣は晩年麾下の諸将を疑うこが多く、諸将は動揺していた。建中二年[781年]寶臣が卒し、
子惟岳が自立したが唐朝は認めず、周囲の諸鎭に追討を命じた。
・易州張孝忠・趙州康日知は帰順し、支援してくれた魏博田悦は河東・昭義軍に敗北し形勢は不利に
傾き、建中三年[782年]正月ついに將王武俊が裏切り惟岳は誅された。
・張孝忠は易定・康日知は深趙、王武俊は恒冀を与えられ、幽州朱滔は徳棣を加増された。滔は深州
を望んでいたが、遠隔の徳棣を与えられたことに怒り、王武俊もまた不満であり共に反した。