パスハンティングが好きと昨日書いたが、これは京都に住んでいた大学4年生の頃サイクリングが楽しくなり、長距離(といっても5、60km程度;子供用の自転車だからネ)乗ろうとすると盆地状の京都では必然的に峠越えをする必要があるからでもある。
最初に鴨川の最上流部、雲が畑の持越し峠の旧道150mの直登を担ぎ上げた。これは峠の上で、当時建設中の林道が出現し、がっかりしたものだ。
その次には同じ雲が畑の奥、岩屋不動への分岐から薬師峠をめざした。標高590mで岩屋不動分岐からの林道はすぐに登山道となり、やがて沢をよじ登ることととなる。これは道なき道であり、すべて担ぎ上げでこれにはまいった。
冬でもあり、峠は雪が覆っていた。
峠から見た北側の大森地区は曇天の下、暗く寒寒とした風景が広がっていた。ここを降りて周山街道へ出るつもりであった。
登山道を自転車を担いだり、押しながら下った。しばらくして、道は木馬道(きうまみち;木材搬出用に丸太を枕木のように並べて作った「道」)となり、木馬道は走行できるので、ずんずん楽しく下った(この心境は芥川龍之介の「トロッコ」ですね)。しかし、これはミスコースであった。木馬道が登山道であるはずがない。途中で気づいたが、まあ下れば何とかなるだろうと不安ながら降りて行った。やっと、下の方に田んぼが見え隠れするようになり、木馬道から飛び降りて藪コギして、田んぼのへりにたどり着いた。何とか助かりました。
単独行だし、誰にも会わなかったし、持っていた地図は京都市内の観光地図で周辺部は10万分一ぐらのごく荒いもので、今から考えても無謀な峠越えでした。
最初に鴨川の最上流部、雲が畑の持越し峠の旧道150mの直登を担ぎ上げた。これは峠の上で、当時建設中の林道が出現し、がっかりしたものだ。
その次には同じ雲が畑の奥、岩屋不動への分岐から薬師峠をめざした。標高590mで岩屋不動分岐からの林道はすぐに登山道となり、やがて沢をよじ登ることととなる。これは道なき道であり、すべて担ぎ上げでこれにはまいった。
冬でもあり、峠は雪が覆っていた。
峠から見た北側の大森地区は曇天の下、暗く寒寒とした風景が広がっていた。ここを降りて周山街道へ出るつもりであった。
登山道を自転車を担いだり、押しながら下った。しばらくして、道は木馬道(きうまみち;木材搬出用に丸太を枕木のように並べて作った「道」)となり、木馬道は走行できるので、ずんずん楽しく下った(この心境は芥川龍之介の「トロッコ」ですね)。しかし、これはミスコースであった。木馬道が登山道であるはずがない。途中で気づいたが、まあ下れば何とかなるだろうと不安ながら降りて行った。やっと、下の方に田んぼが見え隠れするようになり、木馬道から飛び降りて藪コギして、田んぼのへりにたどり着いた。何とか助かりました。
単独行だし、誰にも会わなかったし、持っていた地図は京都市内の観光地図で周辺部は10万分一ぐらのごく荒いもので、今から考えても無謀な峠越えでした。