「あの船のとこ(ろ)で花火が始まった!」
定刻になっても、白子の浜で開催された花火大会は始まらない。浜辺に座って、今か今かと待っている時に、山の神が周囲を気にしてか押し殺したような声で沖の船を指さして言うのである。
「あの船は花火を上げる船でなく、警戒ラインの位置にいる船。上がるはずがないでしょ!」とたしなめると、「ほら、また上がった。」と指を指し示す。
何を言っているんだか、と、よくよく見ると、船のところではなく、その沖の沖、ごく小さな豆球よりも弱々しい光の花が幾つも重なって開いている。
「あー、あれは伊勢の花火大会ではないか。」というと、山の神はスマホで検索して、雨で延期となった宮川の花火大会が、白子の花火大会よりも今日5分早く始まることを確かめた。伊勢は遠いと言っても直線距離では40km。海の上では遮るものなく、こうして観ることができるのだな、と思った。花火の開花する位置がやや低く感じるのは、例の地球の丸いせいか…。
ということで、12日土曜の夜は白子の花火大会を見物してきました。宮川の花火大会は1万発、対する白子は2千発。いくら遠くでも、その差は同時に、はっきり感じることができました。ただ、白子の花火、最後の最後に、2尺玉の海上自爆(1玉)があって、今年の目玉になっている。
熊野の花火は、4、5回観ているので、比べるてはかわいそうだが、まぁ、その雰囲気は味わえた。
改善の余地があるとすれば、海上自爆は6号玉、1尺玉、そして最後に2尺玉と言う風に盛り上げていけばより良くなるのでは。お金がいるけどね。(写真は熊野の花火の海上自爆3尺玉 白子は2尺だし、ここまでの迫力はない。なんかやや沈んで発火したような感じだった)(後で写真を見たところ、熊野のような男性的な花火でなかったためそう感じたようだ)
定刻になっても、白子の浜で開催された花火大会は始まらない。浜辺に座って、今か今かと待っている時に、山の神が周囲を気にしてか押し殺したような声で沖の船を指さして言うのである。
「あの船は花火を上げる船でなく、警戒ラインの位置にいる船。上がるはずがないでしょ!」とたしなめると、「ほら、また上がった。」と指を指し示す。
何を言っているんだか、と、よくよく見ると、船のところではなく、その沖の沖、ごく小さな豆球よりも弱々しい光の花が幾つも重なって開いている。
「あー、あれは伊勢の花火大会ではないか。」というと、山の神はスマホで検索して、雨で延期となった宮川の花火大会が、白子の花火大会よりも今日5分早く始まることを確かめた。伊勢は遠いと言っても直線距離では40km。海の上では遮るものなく、こうして観ることができるのだな、と思った。花火の開花する位置がやや低く感じるのは、例の地球の丸いせいか…。
ということで、12日土曜の夜は白子の花火大会を見物してきました。宮川の花火大会は1万発、対する白子は2千発。いくら遠くでも、その差は同時に、はっきり感じることができました。ただ、白子の花火、最後の最後に、2尺玉の海上自爆(1玉)があって、今年の目玉になっている。
熊野の花火は、4、5回観ているので、比べるてはかわいそうだが、まぁ、その雰囲気は味わえた。
改善の余地があるとすれば、海上自爆は6号玉、1尺玉、そして最後に2尺玉と言う風に盛り上げていけばより良くなるのでは。お金がいるけどね。(写真は熊野の花火の海上自爆3尺玉 白子は2尺だし、ここまでの迫力はない。なんかやや沈んで発火したような感じだった)(後で写真を見たところ、熊野のような男性的な花火でなかったためそう感じたようだ)