仕事場に「自転車部」ができて、今日は初サイクリング。10時に松阪ベルファーム公園Pに集合して男性3名、女性2名で出発する。
女性の一人は全くの初心者で、ペースは彼女に合わせて平地20km。五輪峠旧道でまず坂の登り方の指南。ついで、根木峠で地獄の特訓、ではなく優しく指導。とにかくこの10%500mを登坂できれば、当面他の坂への免疫ができる。一回足を付いたが、なんとか登坂。
今日の目的地は「あちこち山花」ランチ。茅原の坂でも休憩して、後は国道166号。開店とほぼ同時着。
秋の季節メニュー「栗コロッケ定食」をいただく。栗コロッケ2個とチーズをはさんだ、ささみフライ2個付きで、ボリューム十分。栗の甘い香りのコロッケで美味しくいただきました。(写真は携帯を忘れたので、わいださんのブログより拝借)
お店の大将と足を怪我した時の話をきいて大笑い。切断用具のサンダーを足に落として指を切り、近くの診療所で縫ってもらったようだが、70歳過ぎのお医者さんで、縫っている時、目が見えんので看護師に「どこや」と聞きながら施術したという。その時は、どうなる事かと思ったらしいが、経験豊富なお医者様で「名医だった」と大将。
1時間ほどまったりして、店を出て、帰ることとしたが、以前から気になっていた「玄丈の館」に立ち寄ることに。ちかくの橋を渡って対岸へ。橋の上では乗り出すようにご老人が川を覗いている。落ちそうなので、何事か、と声をかけると、「鮎がたくさんいる」と。「あんたらでは分かりにくいだろうが、ほれ、今跳ねた」と川面を指さす。
初めて走る道なので、迷いながらも、玄丈の館へ到着。ここは薬草足湯があり、着いた時は満員だった。
玄丈とは「野呂玄丈」この勢和村出身の江戸中期の本草学者(薬草)で医者。八代将軍吉宗のお抱え医師。晩年は青木昆陽とともに蘭学研究を命じられ、18世紀後半に芽生えた和蘭医方の基礎をなした、と言われている。同行の4人に聞いたが、玄丈の名前すら誰も知らなかったのには驚いた。
ここから県道774号経由で国道に出て、諏訪峠を降りて県道、矢津~岡本を左折して、北上、最後に美濃田の大仏を拝観してデポ地へ戻る。走行44km。
女性の一人は全くの初心者で、ペースは彼女に合わせて平地20km。五輪峠旧道でまず坂の登り方の指南。ついで、根木峠で地獄の特訓、ではなく優しく指導。とにかくこの10%500mを登坂できれば、当面他の坂への免疫ができる。一回足を付いたが、なんとか登坂。
今日の目的地は「あちこち山花」ランチ。茅原の坂でも休憩して、後は国道166号。開店とほぼ同時着。
秋の季節メニュー「栗コロッケ定食」をいただく。栗コロッケ2個とチーズをはさんだ、ささみフライ2個付きで、ボリューム十分。栗の甘い香りのコロッケで美味しくいただきました。(写真は携帯を忘れたので、わいださんのブログより拝借)
お店の大将と足を怪我した時の話をきいて大笑い。切断用具のサンダーを足に落として指を切り、近くの診療所で縫ってもらったようだが、70歳過ぎのお医者さんで、縫っている時、目が見えんので看護師に「どこや」と聞きながら施術したという。その時は、どうなる事かと思ったらしいが、経験豊富なお医者様で「名医だった」と大将。
1時間ほどまったりして、店を出て、帰ることとしたが、以前から気になっていた「玄丈の館」に立ち寄ることに。ちかくの橋を渡って対岸へ。橋の上では乗り出すようにご老人が川を覗いている。落ちそうなので、何事か、と声をかけると、「鮎がたくさんいる」と。「あんたらでは分かりにくいだろうが、ほれ、今跳ねた」と川面を指さす。
初めて走る道なので、迷いながらも、玄丈の館へ到着。ここは薬草足湯があり、着いた時は満員だった。
玄丈とは「野呂玄丈」この勢和村出身の江戸中期の本草学者(薬草)で医者。八代将軍吉宗のお抱え医師。晩年は青木昆陽とともに蘭学研究を命じられ、18世紀後半に芽生えた和蘭医方の基礎をなした、と言われている。同行の4人に聞いたが、玄丈の名前すら誰も知らなかったのには驚いた。
ここから県道774号経由で国道に出て、諏訪峠を降りて県道、矢津~岡本を左折して、北上、最後に美濃田の大仏を拝観してデポ地へ戻る。走行44km。