自転車のサドルの上で・・・

サドルの上での気ままなひとりごと

日川~白口峠

2016-01-09 | Weblog
今日は仕事、採用面接2人。11時までで終了。
昼から走るのでは距離は行けない。ということで、今日は車の中にMTBを入れてきた。
中村川沿いを走ると「平家の里」の小さな看板がある。気にかかって「井置」集落の外れまで行ったことがあったが、その先は地道となってロードでは行けない。調べてみると、平家の跡取りにあたる「六代」(維盛の長子;清盛の孫)と郎党がが隠れ住んでいたと伝わるところ。(定説では逗子で斬殺されている)
清盛の父は伊勢平氏で津で生まれているので、平氏滅亡後、追っ手を逃れ、このあたりに潜んでいたというのも頷ける。
墓もたくさん残っていて、農民の墓でなく武士の墓であることが判るので、六代ではなくとも、その係累と郎党が潜んでいたものと想像する。
天白遺跡のPへデポして、往路はゴルフ場に通じる「なめり湖畔」の舗装路で日川へ向かう。20%近い急勾配の山道はロードではギアが足りないナ、とMTBで来たことは正解。
峠を越えると日川の集落、といっても4、5軒。日川寺の左右の古いお墓を御参りしてから、更に坂を登って最奥の「白部の滝」「平家隠れ洞窟」を見物して坂を下って峠まで。峠手前を左に折れて落ち葉で埋まった山道を走ることに。これが「井置」に通じる旧道(近代まで、この道しか日川へ入る道は無かった)を乗れるところは乗って、無理な所は押し歩き。下り基調となると、石畳(バラバラに崩れているが)が5百mほど続く箇所に出る(写真)。こういうところでは転倒しそうなので押し歩き。
林道にでてからは楽しく乗れる。すぐに井置にでて、いつもの中村川沿いに至る。時間をみると1時半なので、次に白口峠を目指す。
いつもはロードだが、クロモリに油圧ショックのフロントフォークは重い。必然的にじっれたくなるほど遅く登って、白口峠入口へ。車両通行止めの看板がある。近くに住んでいるらしい外国人から「崩れて車は行けない」とご忠告をいただく。峠まで行って戻ってくるつもりだったので、行けるところまで、と思って急勾配を登る。地図を見ていた限り直線的になだらかに登るかと思っていてので、予想に反して急だったので堪えた。道は荒れていて深くえぐれていたり、土砂が流れていたりして、確かに車は無理。オートバイか自転車なら可でも自己責任。
「美杉村」の標識の残る峠までたどり着いて、引き返すことに。嬉野側からは150mほどの登りだが、美杉白口側からは200mほどの登りとなる。これは清水峠とほぼ同じ。
暗くなってきた、誰も来ない荒れた山道での下りは気を使う。歩けないような怪我をすれば凍死につながるからね。短距離だが慎重に下山。
しかし、MTBに乗ったのは10年ぶりぐらいだ。昨日は埃だらけの車体を拭いたし、パンクしていたチューブを交換した。
久しぶりに、地道、山道を走るのはなかなか面白かったネ。
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