camera とはラテン語で「小さな部屋」という意味である。
ところで、カメラが使用され始めたのは15世紀。と書くと「えっ?」と思われるかもしれない。そう思われる方は「写真」と勘違いされている。自分もそうだった。実用的な「写真」は1836年の「ダゲレオタイプ」の発明からである(写真は像を固定する仕組み)。カメラはずっと昔からあった(絵にするためには手でトレースする必要)。
暗い部屋の中で、ピンホールから逆様の像を結ぶことを発見してから、それを暗箱の中で実現したのがcameraである。ピンホールはやがて凹面鏡や凸レンズの使用により、より明確な像を結ぶようになり、箱の中に鏡を利用し、正立像を映すようにできるようになった(カメラ・オブスクーラ:obscura ラテン語で「暗い」、即ち「暗室」)。簡易トイレのような暗幕を利用して、野外でも使えるようになっていった。
15世紀初めに線遠近法が発明されたのはcameraのおかげかもしれないと言われる。フェルメールはカメラオブスクーラを使用していたことが知られている。そのほか、カラヴァッジョ、ベラクルス、ファンエイク、ホルバイン、ダヴィンチ、アングルなどなど・・・も、と。「天文学者が望遠鏡を利用するように、画家はカメラオブスクーラを利用すべきである」ともいう人がいた。(デイヴィット・ホックニー「秘密の知識」(写真)より;本の表紙は、画家である筆者が使っているのはカメラルシーダで1806年に発明された)
以上、最近読んだ本から、適宜引用。アングルの線に迷いのない見事なデッサンもそうだったのか、となるほどと合点した。
自分の絵は写真なしには描けていない。2年前の最初の絵は40年前のスケッチのみで描いたが、子どもっぽい絵だ。細かいところのリアリティを追及すると、写真が必要だ。が、素人が写真にとらわれると、作品に力がなくなるので注意が必要だ、と思う(この著者もカラヴァッジョの静物画のリンゴとセザンヌのリンゴを比較してそういうことを述べている)。写真があろうとなかろうと描けるのがプロ級なので、その境地には追いつくことは無いナァ、と。