昨日の日曜は、古文書読解基礎講座。講義が終わった後、先生に、先祖の残した本を少し見てもらった。表紙には「義成」と書いてあると読んでいたが、これは「萬載」と、早速間違いがわかった。くずし字は難しい。
この本には安政4年から5年にかけての、日米修好通商条約を巡っての、公文書、私文書類が筆記によって集められている。アメリカ大統領からの親書や、条約の和訳文が当時の通詞の訳した文書の写しが掲載されている。水戸の斉昭らのへの公儀による処分文書も掲載されている。京都の公家衆の幕府への抗議文も掲載されている(勅許を得ていない条約締結)。先生の注釈を聞いて、色々分かってきたことがあった。
裏表紙には「茂松園」と書かれている(写真)。これは尾張藩の阿部伯孝(号は「松園」)の事ではないかと。同輩に「植松茂岳」という人も居たようだし、この裏表紙の書き方からは、両名が協力して作成し、殿様(徳川慶勝)に提出した資料集(条約をめぐる)の写しではないかと想像した。中身は安政の大獄を主導した井伊大老への揶揄を込めた勤皇サイドの本(資料集)でもある。この情報の中身からすれば、江戸で作られ、名古屋に戻ってから、明治になり、売り立てされ、道具屋あたりから、先祖が手に入れたと見るのだが、いきさつは誰にも分からない。
しばらく、自分なりに読んでみて、その後、しかるべき所へ連絡してみようか、と。