自転車のサドルの上で・・・

サドルの上での気ままなひとりごと

竜が池

2023-11-08 | Weblog
 午前中は絵も描かず、ゆったりと過ごす。あまりの良い天気にもったいなく、昼から少し乗ることに。
 昨年末に自転車の乗り方を教えた小6も中1となり、元気に通学しているとか。ただ、通学路の坂を登れず、押している、という話を聞いた。5段変速と聞いていたので「ゆっくり登れば乗ったままいけますよ」と伝えてもらうよう頼んだ。そうは言ったが、さて、どんな坂かと、試してみる事に。
 椿へ行く、いつものコースから少し離れてその坂はある。延長は400m程度、勾配は予想より緩やかで平均5%程度か?、ただ、最後が20mが10%と言う感じ。結局アウター・トップ通しで自分は登れたが、これが、通学自転車の負荷とよく似た感じかな?最後の部分はやはり脚力がいるが、急登にかかるまで足を使わなければいけるであろうと。
 次は深溝の藁人形の所によって、パンダのお顔を拝見。何人か見に来ていた。

 フラワー経由で、伊船の竜が池による。ここに石碑(見出しの写真)があるが、ゆっくり見たことがなかったので読んでみる。「お龍之霊碑」とある。裏の建立年をみると昭和31年、とまぁ新しい。
 地元の伝説では、干ばつに悩んでいたこの地域、大庄屋の長左衛門がため池を作ろうと亀山藩に許しを請う。村人が工事に着手し、完成まじか、大雨で堤が崩れる、数度このようなことがあり、困り果てた長左衛門は占い師に占ってもらう。結果「水神の祟りであり、人柱を立てよ」と。さて、誰を、と相談の結果「朝、一番に、ここを弁当を持って通る者」と決まった。それが、幼い頃村で拾われた身寄りのない奉公人お龍だった。お龍は「村の為やったら喜んで」と人柱になり、工事は完成した、という。
 この伝説は、小学校の時、聞いて、当時は本当の哀しい出来事と信じていた。碑の立った昭和31年は自分が5歳の時だ。その数年後だから、真実の話として流布されたのかしら?と今になって思う。
 よく考えれば、亀山藩が「やむえん」とは判断しないでしょう。(伊船は亀山藩領)本人がいくら世話になったと言え、「喜んで」とは・・・。この話、落ちに、背負った弁当にちなんで、この池の魚にはこぶがある魚が採れるという・・・。
 碑にはお花・供物が添えられ、地元の方々がお龍の霊を慰めているのがわかるのだが。
 帰途は伊船の集落を抜けて、八島川を下るコース。走行46㎞
 
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