昨夜は、NHKのブラタモリ「鯖街道」を観た。小浜をスタートして京までたどっていた。
2日に小浜へ行ったばかりだったので楽しく観た。往路は距離が一番短いおにゅう峠越えで、復路は国道で熊川宿、朽木谷で。鯖街道はもう1本名田庄経由があるが、この熊川宿を通る道がメインだった。道が比較的なだらかで、牛馬が使える。鯖ばかり運んでいたわけでなく、日本海側の様々な産物が小浜に揚げられ、京へ運ばれたとの解説。この道は小浜の断層と朽木谷の断層がプレート同士の圧力で直角にぶつかってできたとの解説はなるほどと思った。
さて、小浜西組の街路から番組は始まったが、番組で紹介された、港近くの市が立っていたという鯖街道の始点を訪れなかったので心残り。
江戸時代、どこで荷揚げされていたのかという知識はなかったので、河川(河口)を利用したとの解説はなるほどと思った。
ただ、もう少し、昔の地図を出して、説明してほしかった。ということで、調べたら、なるほど、当時の河川は北川と南川が河口手前で合流し大きな川だったことが明治26年の地図でわかった。地図を見れば、江戸時代に城のあったところは堀のように海岸近くまで回り込んでいるが、大雨になれば、海へ直接流れる放水路であったのだろうとも思われる。(現在は河川改修で流路が異なっている)
ということで、国土地理院のHPから明治26年の小浜の地図と、googleの地図を比較できるように画像をアップ。
なお、番組で紹介された、朽木谷の道の駅から500mほどの所のお寺(足利将軍が6年避難していた所)もサイクリングでは見過ごしてしまったのも残念。
2日に小浜へ行ったばかりだったので楽しく観た。往路は距離が一番短いおにゅう峠越えで、復路は国道で熊川宿、朽木谷で。鯖街道はもう1本名田庄経由があるが、この熊川宿を通る道がメインだった。道が比較的なだらかで、牛馬が使える。鯖ばかり運んでいたわけでなく、日本海側の様々な産物が小浜に揚げられ、京へ運ばれたとの解説。この道は小浜の断層と朽木谷の断層がプレート同士の圧力で直角にぶつかってできたとの解説はなるほどと思った。
さて、小浜西組の街路から番組は始まったが、番組で紹介された、港近くの市が立っていたという鯖街道の始点を訪れなかったので心残り。
江戸時代、どこで荷揚げされていたのかという知識はなかったので、河川(河口)を利用したとの解説はなるほどと思った。
ただ、もう少し、昔の地図を出して、説明してほしかった。ということで、調べたら、なるほど、当時の河川は北川と南川が河口手前で合流し大きな川だったことが明治26年の地図でわかった。地図を見れば、江戸時代に城のあったところは堀のように海岸近くまで回り込んでいるが、大雨になれば、海へ直接流れる放水路であったのだろうとも思われる。(現在は河川改修で流路が異なっている)
ということで、国土地理院のHPから明治26年の小浜の地図と、googleの地図を比較できるように画像をアップ。
なお、番組で紹介された、朽木谷の道の駅から500mほどの所のお寺(足利将軍が6年避難していた所)もサイクリングでは見過ごしてしまったのも残念。