昨日は午前中、料理教室、午後から先生のアトリエで油絵作業。料理教室では作業しながら、洗い物が苦にならなくなった等と料理教室の効果を楽しく談笑。
午後のアトリエでは、「これまでの細かく描くような事を離れたいのだが・・・」と悩みを話すと、「会でも独自の描き方であり、自分の描き方で良いのではないか」と先生。「いや、他の描き方を知らないだけなので・・・」と返答。
まぁ、今描きだしたこの「楯が崎」の絵は仕方ないので、これまでのように描こうかと。海の荒波の景色を海面の高低差を写実的に表現してみるのも初めてだし、挑戦のしがいはある、と思うこととする。(現在は下書きの段階)
さわさりながら、写実的に細かく描くのはしんどいのだよね。
この楯が崎、この絵の視点からは、一枚板の屏風のように見える。ところが、実際はそうではない。屏風は例えば6曲というように折れ曲がっているものである。
実はこの楯が崎、海の方から船で、方向を変えて観れば、そのように折れ曲がっている。少なくともこの絵の範囲内で、4か所は凹部がある。その表現ができるかどうか、写真ではよくわからないので、写真を越えねばならないのだが・・・。苦心するだろうと今から思う。
午後のアトリエでは、「これまでの細かく描くような事を離れたいのだが・・・」と悩みを話すと、「会でも独自の描き方であり、自分の描き方で良いのではないか」と先生。「いや、他の描き方を知らないだけなので・・・」と返答。
まぁ、今描きだしたこの「楯が崎」の絵は仕方ないので、これまでのように描こうかと。海の荒波の景色を海面の高低差を写実的に表現してみるのも初めてだし、挑戦のしがいはある、と思うこととする。(現在は下書きの段階)
さわさりながら、写実的に細かく描くのはしんどいのだよね。
この楯が崎、この絵の視点からは、一枚板の屏風のように見える。ところが、実際はそうではない。屏風は例えば6曲というように折れ曲がっているものである。
実はこの楯が崎、海の方から船で、方向を変えて観れば、そのように折れ曲がっている。少なくともこの絵の範囲内で、4か所は凹部がある。その表現ができるかどうか、写真ではよくわからないので、写真を越えねばならないのだが・・・。苦心するだろうと今から思う。