土曜日は時間の関係で、中まで見なかったが、今治城、地図で見ていた限り小さな城かと思っていたが、さにあらず大きな城だった。当時のもので残っているのは内堀と石垣だが、昔は中堀、外堀まであって、想像するに立派な城であったように感じた。(天守は昭和55年の再建。以後櫓など再建・整備されている。)
築城は1604年、宇和島8万石の城主だった、藤堂高虎。関ヶ原の功績により今治12万石を与えられ、20万石の中心地として今治城を造る。しかし、1609年には伊勢国(伊賀)20万石と今治2万石の併せて22万石となり、津へ引っ越していった。1615年丹波亀山城(亀岡市)の天下普請(幕府の命令で西国大名に造らせた)に際し、縄張りをしていた高虎は、今治城の天守を解体し寄進したと言われている。天守のあったのは10年足らずということらしい。
今治に泊まることがあれば、ゆっくり見て来ようかな。
築城は1604年、宇和島8万石の城主だった、藤堂高虎。関ヶ原の功績により今治12万石を与えられ、20万石の中心地として今治城を造る。しかし、1609年には伊勢国(伊賀)20万石と今治2万石の併せて22万石となり、津へ引っ越していった。1615年丹波亀山城(亀岡市)の天下普請(幕府の命令で西国大名に造らせた)に際し、縄張りをしていた高虎は、今治城の天守を解体し寄進したと言われている。天守のあったのは10年足らずということらしい。
今治に泊まることがあれば、ゆっくり見て来ようかな。