今週は夏休み。
週後半からヨメの実家に行く予定。ヨメは一足先に昨日東京を離れた。
ということでしばしシングルライフである。
今日は10時ごろまで遅寝して、車のオイル交換に行き、昨日に続いてTIPNESSに汗を流しに行った。
プールでスイミング。張り切って1000メートルも泳いでしまった。さすがに疲れたよ。
今日は60回目の終戦記念日だ。
小泉首相はけっきょく靖国参拝しなかったみたいだね。
外交上の配慮とともに、総選挙を控えて内政上の配慮もあったのかな。
一昨日、昨日と、二晩続けてNHKの靖国神社に関する特番を視た。
占領下どうして靖国神社はつぶされずに存続することとなったのか、どうして戦後33年も経ってからA級戦犯が合祀されることになったのか、今まで疑問に思っていた歴史を知ることができ、なかなか勉強になった。
結局、靖国の問題は、国民感情の問題だ。
そして、「戦争責任」というものをどう捉えるか、という論点に直結している。
だから難しい。
単に首相が参拝するかしないかというだけの問題ではない。
国家神道の時代と本質的に変わらない形の靖国神社が存在している以上、遺族の心情に配慮しないわけにはいかないだろう。
ところが不幸なことに、国内の感情を重んじることが、国際社会への信義上の”けじめ”とトレードオフの関係になってしまっている。
乱暴な言い方をすれば、もし占領時代に靖国が廃止されていたなら今日のような問題は発生しなかっただろう。
だけど、現に戦後60年も存続している以上、今さら靖国を廃止したり、新追悼施設で代替しようというのは、遺族の感情を鑑みるに難しいことのように思う。
戦前における靖国の意味合いを知る、直接の”遺族”たちが存命されている間は、この問題には決着をつけることはできないようにも思える。
だが、それまでの数十年間、今のままの日本が、変わりゆく国際社会の中で生き延びていけるのか、漠然とした不安も感じる。
戦争責任について一つだけ。
昨日の討論で、上坂冬子が「誰に戦争の責任があるかなんて、議論していってもラッキョウの皮を剥いていくような話で意味が無い」といった趣旨の発言をしていた。
確かにね、戦争はいろんな要素や経緯が絡んで起こるものであって、誰か特定の個人が始めるものではない、というのは事実としてはその通りだと思うよ。
だけど、信義の問題として、また感情の問題として、やっぱりそんなの通用しないと思うんだけど。
国際社会で通用しないというだけでなく、日本人の感情としても。
戦争指導者たち(それが戦勝国によりA級戦犯と判定された人たちとイコールなのかどうかは別として)の戦争責任を不問にするというのは納得しにくい。
一部の戦争指導者が、占領終了後復権して政財界に復帰することを許してしまったことが、今に至っても禍根を残しているように思えてならない。
週後半からヨメの実家に行く予定。ヨメは一足先に昨日東京を離れた。
ということでしばしシングルライフである。
今日は10時ごろまで遅寝して、車のオイル交換に行き、昨日に続いてTIPNESSに汗を流しに行った。
プールでスイミング。張り切って1000メートルも泳いでしまった。さすがに疲れたよ。
今日は60回目の終戦記念日だ。
小泉首相はけっきょく靖国参拝しなかったみたいだね。
外交上の配慮とともに、総選挙を控えて内政上の配慮もあったのかな。
一昨日、昨日と、二晩続けてNHKの靖国神社に関する特番を視た。
占領下どうして靖国神社はつぶされずに存続することとなったのか、どうして戦後33年も経ってからA級戦犯が合祀されることになったのか、今まで疑問に思っていた歴史を知ることができ、なかなか勉強になった。
結局、靖国の問題は、国民感情の問題だ。
そして、「戦争責任」というものをどう捉えるか、という論点に直結している。
だから難しい。
単に首相が参拝するかしないかというだけの問題ではない。
国家神道の時代と本質的に変わらない形の靖国神社が存在している以上、遺族の心情に配慮しないわけにはいかないだろう。
ところが不幸なことに、国内の感情を重んじることが、国際社会への信義上の”けじめ”とトレードオフの関係になってしまっている。
乱暴な言い方をすれば、もし占領時代に靖国が廃止されていたなら今日のような問題は発生しなかっただろう。
だけど、現に戦後60年も存続している以上、今さら靖国を廃止したり、新追悼施設で代替しようというのは、遺族の感情を鑑みるに難しいことのように思う。
戦前における靖国の意味合いを知る、直接の”遺族”たちが存命されている間は、この問題には決着をつけることはできないようにも思える。
だが、それまでの数十年間、今のままの日本が、変わりゆく国際社会の中で生き延びていけるのか、漠然とした不安も感じる。
戦争責任について一つだけ。
昨日の討論で、上坂冬子が「誰に戦争の責任があるかなんて、議論していってもラッキョウの皮を剥いていくような話で意味が無い」といった趣旨の発言をしていた。
確かにね、戦争はいろんな要素や経緯が絡んで起こるものであって、誰か特定の個人が始めるものではない、というのは事実としてはその通りだと思うよ。
だけど、信義の問題として、また感情の問題として、やっぱりそんなの通用しないと思うんだけど。
国際社会で通用しないというだけでなく、日本人の感情としても。
戦争指導者たち(それが戦勝国によりA級戦犯と判定された人たちとイコールなのかどうかは別として)の戦争責任を不問にするというのは納得しにくい。
一部の戦争指導者が、占領終了後復権して政財界に復帰することを許してしまったことが、今に至っても禍根を残しているように思えてならない。