麻生首相が、躍起になって補正予算を通そうとしています。
総事業規模56兆8000億円、真水15兆4000億円となる過去最大の追加経済対策。
果たして、財政支出を拡大することで経済は回復するのか?
池田信夫氏は否定します。
ちょっと前の記事ですが、氏のブログ「不況についての迷信」より。
需要不足には、短期的な要因と長期的な要因がある。前者は金融・財政政策によってコントロール可能なGDPギャップ、後者はコントロール不可能な潜在GDPの低下である。マクロ政策によって達成可能な成長率の上限は、後者によって決まる。今回の日本のように、アメリカの過剰消費が正常化することによる潜在GDPの低下を「一国ケインズ政策」で埋めることはできない。
そして、このような「迷信」が疑いなく信じられている日本は国際的には例外だと。
同ブログ「「史上最大の景気対策」についての懐疑的リンク集」より。
麻生首相の誤解とは異なり、不況になったら財政支出を増やせという「常識」なんか経済学にはもう存在しない。この問題は、上のように世界の経済学者の中でも論争の最中であり、少なくとも潜在成長率を引き上げない短期的なバラマキは有害だという点については、財政積極派のサマーズも含めてコンセンサスがある。
それでは何故日本では古いケインズ思想がいまだに幅を利かせているのか。
池田氏の盟友・池尾和人氏へのインタビュー記事(ダイヤモンド・オンライン)より、日本において「俗流化されたケインズ思想」に捉われている原因についての見解。
本格的なケインズ政策を実施して、失敗した経験がないからだ。日本経済は1980年代初頭まで、欧米の背中を追うキャッチアップ型であり、成長し続けた。経済社会が成熟し、長期停滞に陥って、需要喚起策が必要になるという経済構造とは無縁だったから、ケインズ政策は必要なかった。
日本が戦後初めて、赤字公債発行を伴う財政支出に踏み出したのは1975年、福田政権のときだった。そして、1990年代の長期経済低迷の克服のために財政支出を拡大し続け、膨大な政府債務を背負うことになった。それでも、長期金利は安定している。いまだに、ケインズ政策によってひどい目にあった、という経験がわれわれにはない。
<中略>
欧米は第二次オイルショック時にスタグフレーションに見舞われ、塗炭の苦しみを味わったからだ。オイルショックによってサプライサイド(供給側)に大問題が発生したのに、総需要喚起というケインズ政策で立ち向かい、不況を克服できないままハイパーインフレーションを引き起こしてしまったのだ。だから、ケインズ政策に対して、欧米には深い懐疑がある。
一方、同じダイヤモンド・オンラインで山崎元氏は、「現在の状況下で金融緩和と共に財政的措置を取ること自体は適切だし、経済の落ち込みの大きさを考えると規模に違和感はない。」とした上で、政策への評価の基軸を提示しています。
個々の政策への評価の基準は、筆者は三つあると考えている。第一に、公共性だ。この点については、定額給付金や減税を思い浮かべると分かりやすい。今お金が配られても、後から増税されて取り立てられれば(つまり同じ人に支出されて、同じ人から回収されれば)、国民の損得勘定は基本的にプラスマイナスはゼロだ(厳密には手間がかかっている分だけ、マイナスかもしれない)。したがって、国民の皆がメリットを得られるような公共性(公共事業として行う必然性)がなければ、財政支出を行う意味がなく、これは減税に劣る。第二は、所得配分上のフェアネスだ。メリットを受ける人や業界に偏りはないかという点と、あまり行き過ぎてもいけないが、不況が深刻化している状況を考えると、豊かな人よりも経済的に困窮している人に対してサポートになっているかどうかを見定める必要がある。そして、第三は、将来の経済力の発展(成長性)につながるものであるかどうかだ。
山崎氏は、これらの基準に照らして今回の景気対策のメニューを一つ一つ点検していきます。
住宅ローン対策や贈与税減税が金持ち優遇である点、自動車業界や家電業界など特定業界への「エコ贔屓」、就学前児童への一年限定での手当支給の意味不明さなど、同感です(我が家は恩恵を受ける部分もありますが)。
成長力を高めない規模だけのバラマキには効果が無い、という点では各氏の見解は共通しているようです。
池尾氏が述べる「日本人はケインズ政策で痛い目にあっていない」という視点は新鮮でしたが、それに加えて、「お上による差配に頼る」という志向が日本人のメンタリティに合致しているという面もあるのでは。
それと、財政政策信仰が続くことが官僚の権力確保にとって都合がいいという点も考えておくべきなのでしょう。