「国の責任で最後まで対応する」「当然、国の責任は逃れられないとの認識だ」…菅サンや枝野サンからよく聞かれる発言です。
こういうセリフを聞くと、政治家や官僚が責任を負うと言っているように聞こえますが、実は政治家や官僚は「国」ではない。
彼らは立法や行政を担っているだけ。
そのことを誤解している人が多いな、と感じます。
例えばこのブログ記事も典型的だな、と。
国も福島原発事故で賠償し無責任姿勢を正せ(Blog vs. Media 時評)
定検あけ原発の再稼働難航問題も、根底は欠陥がある安全審査指針を放置したまま、安全対策の付け焼き刃的な追加で誤魔化そうとしているからです。国の賠償を現実化することで官僚に痛みと責任を実感させるのが、早期の事故収束、破綻したエネルギー政策の合理的再建の近道です。その方向付けこそ民主党が掲げる「政治主導」の出番でしょう。
国が賠償責任を負ったところで、官僚が痛みを実感したりしないでしょ。
そりゃ多少の後悔と良心の呵責は感じるかもしれないけど、たまたまその時、行政の担当者だったってだけで、官僚個人が賠償するわけじゃない。
B型肝炎被害の賠償だって、財源のために増税、なんて話も出ているくらいで、結局「国が責任を負う」ってのは「国民が責任を負う」ってのと同義。
そのことに気づいてない人が世の中多すぎるな、と思います。
しょうもない政治家を選挙で当選させたのも国民だし、無責任な官僚がのさばるのを容認しているのも国民。
だから、そのツケは結局国民に回ってくるというだけのこと。
国民は善良だけど、お上は悪徳…時代劇みたいな分かりやすい構図に疑いを持たない人が多いうちは、この国は変わらないなと思います。
変わるのはすごく難しそうだけど。