そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

勇気は「与えるもの」ではなく

2011-03-26 11:39:00 | Sports

「被災地の皆さんに勇気や元気を与えたい」

長友もザック監督も新井選手会長も卓球の愛ちゃんも高校野球のキャプテンも、みな異口同音にこのフレーズを使っています。
彼ら彼女らの真摯な想いはホンモノだと信じているし、その想いにケチをつけるつもりは毛頭ないんですが、自分はこのフレーズにいつも少しの違和感を憶えてしまいます。
言葉尻をとらえるのは本意ではないのですが、勇気や元気を「与える」ってちょっとおこがましい言い方ではないでしょうか。
彼ら彼女らのプレーを観て、勇気や元気が湧いてくるのは受け側の話。
そこまで先回りしたこと言わずに、精一杯のプレーに集中して邁進してほしい。
それだけの特別な存在なんだから。

いやむしろ、この言い回しが、紋切り型の定番フレーズになっていることが違和感の原因なのかもしれません。
そういう言い方をすることを迫る、世間からの無言の圧力があるとしたら少し残念。

その点、やっぱり一味違うな、と思わせてくれたのが三浦カズ。
昨日(3月25日)日経新聞朝刊スポーツ面のコラムはまたまた素晴らしい内容でした。

生きるための明るさを 三浦知良・サッカー人として

以下、一部引用。

 

サッカーをやっている場合じゃないよな、と思う。震災の悲惨な現実を前にすると、サッカーが「なくてもいいもの」にみえる。医者に食料……、必要なものから優先順位を付けていけば、スポーツは一番に要らなくなりそうだ。

でも、僕はサッカーが娯楽を超えた存在だと信じる。人間が成長する過程で、勉強と同じくらい大事なものが学べる、「あった方がいいもの」のはずだと。

未曽有の悲劇からまだ日は浅く、被災された方々はいまだにつらい日々を送っている。余裕などなく、水も食べるものもなく、家が流され、大切な人を失った心の痛みは2週間では癒やされはしない。

そうした人々にサッカーで力を与えられるとは思えない。むしろ逆だ。身を削る思いで必死に生きる方々、命をかけて仕事にあたるみなさんから、僕らの方が勇気をもらっているのだから。

こんなことを言える立場ではないけれども、いま大事なのは、これから生きていくことだ。

悲しみに打ちのめされるたびに、乗り越えてきたのが僕たち人間の歴史のはずだ。とても明るく生きていける状況じゃない。でも、何か明るい材料がなければ生きていけない。

暗さではなく、明るさを。

 

本当に素晴らしい。
常に「今、できること」を全力でやってきたカズが言うからこそ価値がある。

カズは、人に勇気を与えたくて全力で生きてきたわけではない。
自分自身が全力で生きたいからそうしてきただけ、に違いない。
だけど、自分はこうしたカズのメッセージに触れるたびに勇気を貰っています。
そういうことだと思う。


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2 コメント

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福島から (玉井人ひろた)
2011-04-07 08:49:49
視点は違いますが、同じような思いをしています。
皆さんの優しい心はようく感じ採っていますから、感謝しています。

でも「与える」は上から目線の言葉、例えば「犬に餌を与える」とかね

「与える」の言葉は敬語・丁寧語にすると「差し上げる」なのですが、使い方をご存じないのでしょう。致し方ないです
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お見舞い申し上げます (緑雨)
2011-04-07 23:32:36
仰る通り、敬語の使い方という点でも違和感がありますね。
「がんばれ」や「がんばろう」も違う気がしますし、結局のところ、罹災の当事者ではない我々が罹災地の方々にかけることのできる言葉など、残念ながらないのかもしれません。
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