そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

擬制を超越した実体としての「法人」という肌感覚

2011-01-15 23:55:07 | Politcs

本日付け日経新聞朝刊コラム「大機小機」より。
「法人税と消費税と企業社会」、分析は「盤側」氏。

法人税率下げに関する問題提起…

…法人優遇、個人冷遇という日本人の庶民感覚に根拠がないと一蹴できない何かがあるとしたら、それは何か。
それが企業社会がどこまでも個人を尊重する個人中心のものになっているか、にある。
欧米の企業において、株主とは個人であり、個人のために厳しい受託者責任を課せられた年金基金などの機関投資家である。したがって、法人税引き下げで企業収益が向上すれば、配当や株価で報われる株主も個人である。一方、消費税を負担するのも個人なので、法人税引き下げで株主としての個人が報われる代わりに、消費税率が上がることで負担が重くなっても、両者の釣り合いは取れる。
「個」に絶対の価値を置く市民社会構築のために多くの犠牲を払ってきた欧米における企業社会のあり方は、税のあり方にも直結する。

しかしながら日本では…と議論は続きます。

言い換えれば、欧米では「法人」とは単なる擬制であり、各種制度の利害も最終的に個人に還元して考えることができるのに対し、未だ欧米ほどの「個」の確立が実現していない日本社会においては個人と並び立つ形で「法人」が単なる擬制を超越した実体的なプレーヤーとして捉えられがちである、ということでしょう。
世論調査の結果でも、法人税引き下げについては賛否が真っ二つに分かれているのにも、そのあたりの肌感覚が表れているのかもしれません。


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