今日は朝顔について調べてみました。
「朝顔の渡来」
朝顔と言えば古くから日本人に親しまれてきた蔓性植物で、夏の風物詩の一つに入るくらい私たちになじみの深い花です。
朝顔はヒルガオ科の1年性植物で、原産地は熱帯アジアから西南中国方面と言われ、日本へは奈良時代末期に薬草として遣唐使が種を持ち帰ったことにより、渡来したといわれています。
朝顔の種で芽になる部分は、漢名では「牽牛子(けんごし)」と呼ばれ、下剤の作用のある成分がたくさん含まれており、奈良時代(708~781)、や平安時代(782~1182)には大変貴重な薬用植物だったようです。
この薬用の朝顔が品種改良されて観賞用として栽培されるようになったのは江戸時代になってからといわれています。
・北隣り Kさん宅の朝顔です。
「東京入谷(いりや)の朝顔市」
朝顔と言えば、夏には各地で「朝顔市」が開かれているようです。中でも東京の夏の風物詩として有名な「入谷の朝顔市」は、各地の朝顔市に先駆けて毎年7月6日から8日までの3日間開かれます。
入谷(いりや)では江戸末期から朝顔が栽培されていましたが、入谷(いりや)が朝顔で有名になったのは明治時代になってからといわれています。
当時、入谷では十数軒の植木屋が軒を連ねて朝顔作りを始め、年々品種改良をして新品種を競っていました。
大輪朝顔を始め、「変わり咲き」といって、朝顔の花が桔梗の花のように咲いたり、牡丹の花のように咲いたり、或いは二重に咲いたり、いろいろな花を咲かせることが出来たそうで、最盛期には一千種もの朝顔が花を咲かせたそうです。
それらを陳列したのが評判になって、早晩より見物客が来るようになり、年中行事の一つに数えられるようになったといわれています。
大正時代には一時衰退したようですが、昭和になって再び朝顔市が立つようになり現在に至っています。
近年では年々盛況になっていると言われているそうです。
・入谷朝顔まつりの風景です。 (入谷朝顔まつりHPより)
「真源寺の鬼子母神(きしもじん)」
入谷といえば真源寺の「鬼子母神(きしもじん)」も有名です。
この鬼子母神は、人の子をさらっては食べる夜叉でしたが、その悪行をお釈迦様に知られ、子供をさらわれた親の悲しみがどれほど深いものかを諭されました。
改心した鬼子母神は法華経の守護神となり、また母親と子供を守る仏教の神として信仰されるようになったとのことです。
・真源寺の「鬼子母神(きしもじん)」です。(入谷朝顔まつりHPより)
「恐れ入谷の鬼子母神(おそれいりやのきしもじん)」の由来
この鬼子母神のご利益として、洒落言葉「恐れ入谷の鬼子母神(おそれいりやのきしもじん)」がよく知られているところですが、この洒落言葉の由来は、
『さる大名家の奥女中が腰に腫れ物が出来てしまい、医者に見放されましたが、入谷の鬼子母神に21日間の願をかけたところ、満願の日の帰りに橋でつまずき、
欄干の烏帽子に腰を打ち付けたことで垂れ物の口が破れ膿が出てまもなく全治したとあります。』
このことを狂言師の大田蜀山人が聞きつけ、そのご利益に恐れ入ったと言うことで「恐れ入谷の鬼子母神」と洒落言葉で言ったのが江戸っ子の間で流行になり、現在まで使われていると言うことです。