らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

奈良・日帰りの旅(その7)元興寺(2)

2013-10-02 | 旅行

昨日に続き、世界遺産「元興寺」をご紹介します。

「禅室(国宝)」
ここに掲げられている説明によれば、
元興寺旧伽藍の東室南階大房(僧坊)遺構、四房(室)分を伝える。切妻造、本瓦葺四間四面の簡素であるが重厚な趣がある。
智光や空海を始めとする僧侶が起居し、学修した官大寺僧坊の遺構で、平面図や雰囲気をよく保っている。
建築様式としては鎌倉時代の大仏様を示しているが、構造材は奈良時代以前の古材を多く再利用されている。 
中世には春日影向堂とも呼ばれ、近世に客殿、近代には学校舎にも使われてきた。
と書かれています。



「行基葺」

極楽堂の北流と西流、禅室の南流の東側の屋根瓦は、一般の本瓦と少し趣が違っています。
つまり、丸瓦も平瓦も重なり合って葺かれていますが、これは飛鳥の法興寺が平城京遷都の際に移転して元興寺となった折り、法興寺(飛鳥寺)の建造物が解体され、元興寺諸堂の建材として利用されたことから、それらを重ねた独特の瓦の葺き方となっているものです。
飛鳥時代の古瓦は上部が細くすぼんだ特異な形状をしていることから、このような葺き方になるもので、この葺き方を行基葺(ぎょうきぶき)と呼んでいます。



「来迎寺の行基葺の屋根」
この行基葺は大阪・熊取の来迎寺にも伝えられているのでご紹介しておきます。
行基葺きとは前述したように、丸瓦の下方が末広がりとなったものを用い、下方に置く丸瓦の細いほうを覆うように順々に重ねて葺いたもので、法隆寺金堂の玉虫厨子(たまむしのずし)の屋根にみられます。

・これが来迎寺の行基葺の屋根です。


「行基葺と本瓦葺の違い」



「史跡 元興寺塔跡(重文)」
元興寺の東塔跡で、現在は民家に挟まれるように残っており、1932年(昭和7年)に国の史跡に指定されました。



「史跡 奈良時代の元興寺の東塔跡」
上記の門を入るとその奥に東塔跡があります。
塔の基壇は1辺17.7m、高さ90cm、石壁をめぐらした上に17個の礎石が残っています。
残存する礎石から、塔は1辺約10m、初重柱間3間の中央間で3.8m、両脇間で3.19m、高さは推定50m(古記では24丈)の五重塔でしたが1859年(安政6年)に焼失したと言うことです。



「史跡 元興寺小塔院跡」
小塔院は、称徳天皇が藤原仲麻呂の乱による戦没者の冥福を祈るために造り、南都十大寺に置いた百万塔の小塔を安置するために造営された院とされています。



上記の門を入るとその奥に小塔院跡があります。
元興寺の東塔院と対称の位置にあたる伽藍の西南にあって、南に礼堂をもった小塔堂を中心に、他に檜皮葺き建物3棟や門が付属していたと言われています。
1965年(昭和40)に国の史跡に指定されています。

・この場所に小塔院があったそうです。


「五重小塔 (国宝)」
木造の五重小塔の高さは5.5mほどの小塔ですが、内部構造まで省略せずに忠実に造られており、奈良時代の五重塔の建築様式を伝えるものとして国宝の「建造物」に指定されています。
現在は元興寺の収蔵庫に安置されているそうです。

・「国宝の五重小塔 です。(ウィキペディアより)」