らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

堺市内散策(その3)本願寺堺別院

2013-10-24 | 地元紹介

2週間ほど前に大阪のメインストリートに面した「南御堂(本願寺難波別院)」と「北御堂(本願寺津村別院)」をご紹介しましたが、堺にも本願寺の堺別院がありました。

「本願寺堺別院」
「北の御坊さん」として親しまれている西本願寺堺別院は、文明8年(1476年)に蓮如が堺の樫木屋町に建立した「信証院」に始まります。
蓮如は遣明貿易などで繁栄し始めた堺で、新しい時代の担い手である商人や手工業者に布教するため信証院などに幾度となく滞在しています。
その後、享保13年(1728年)に、現在地に本堂を落慶しましたが、寛政10年(1798年)の火災で表門と鐘楼を残して焼失しました。

・山門です。
 山門の前左の石柱には「明治天皇聖跡」、右側は「蓮如上人御蒨蹟(せんせき)」と彫られています。
 これは明治10年に、堺県重要物産天覧のため、明治天皇が臨幸されていることからですが、何れの殿堂において御休息せられたかは不明ということです。


「本堂」
現在の本堂は、文政8年(1825年)に再建されたもので、堺市に現存する最大の木造建築とされています。
廃藩置県に伴って明治4年から10年間(1871年~1881年)は、本堂と境内の土地が堺県庁として貸与され、堺別院は宿院町に移転していました。
県庁使用後は、浄土真宗本願寺派へ返還されましたが、大阪府は堺県庁跡として史跡に指定しています。 

・本堂に向かって右に親鸞聖人、左に蓮如上人の銅像が建てられています。


「鐘楼」
鐘楼に釣られた梵鐘は、元は大坂夏の陣後の堺復興を進めた堺奉行・長谷川藤広が念仏寺に寄進したもので、元和3年(1617年)の銘をもち、年代が明らかな市内最古の貴重な梵鐘となっています。

また、境内には堺出身の歌人・与謝野晶子の歌碑のほか、高さ20m、幹の周り3.65mもある銀杏の巨木が、この寺の歴史を語るかのように根をおろしている。