堺市の「てくてくろーど」散策、2回目は「山口家住宅」をご紹介します。
「山口家住宅」
山口家は江戸時代、近隣農家の庄屋を務め、奉行所と町方・村方を繋ぐ役割を担っていました。
山口家住宅の主屋(おもや)は、慶長20年(1615)の大坂夏の陣の戦火により市街地が全焼した直後に建てられたもので、国内でも現存する数少ない江戸時代初期の町家のひとつとして国の重要文化財に指定されています。
敷地内には主屋の他に安永4年(1775)建築の西土蔵、寛政12年(1800)建築の北土蔵があります。
江戸時代には、「京の着倒れ、大坂の食い倒れ」と共に「堺の建て倒れ」と例えられたように、堺衆は建物に贅(ぜい)を凝らしたと言われていますが、山口家の建物はその名残りを示すものの一つのようです。
この建物は約950㎡の敷地に建ち、15の部屋を持つ2階建てで、1階の太い梁のかかった広い土間が特徴の建物であり、建築手法から元和元年(1615年)ごろの建築と推定されています。
・山口家住宅の間取りです。(ネットより)
「かまど(お竃(くど)さん)」
土間には大きさの異なる5つの竃が当時のまま残っています。
釜ごとに焚く物が異なっていたそうで、左側の大きな釜は常にお湯を沸かしていたのだそうです。
・大きなものから小さなものへと並ぶカマドは「へっついさん」とも呼ばれます。(へつい(竃)とは、かまどを守る神さまのことです。)
「主屋の土間」
正面に見える3室は江戸時代初期に建築された、当時のものだそうです。
「茶室」
堺は茶の湯の伝統があり、山口家にも江戸後期に茶室と水屋、待合が設けられました。
この茶室は江戸中期から後期に増設されたようです。
「庭園」
左奥の木は樹齢200年のハゼの木です。
手前の水を張った枡には、中央にも枡を作っており、「枡枡(益々)繁盛するように」との願いが込められているそうです。
「駕籠」
空中に吊るされている駕籠は、当家の何代目かのお嬢さんが輿入れの際に使用された「かご」との事です。