地元紹介の3回目は天王寺公園の中にある慶沢園(けいたくえん)をご紹介します。
この門の内側に掲げられている説明によれば、慶沢園は元々住友家 茶臼山 本邸内の庭園で、木津聿斉(きずいっさい)の設計にて、京都の名庭園師小川治兵衛の手により、明治41年に着工し、大正7年に完成しました。
その後、大正10年に住友家の転宅とと共に昭和元年に慶沢園を含む茶臼山一帯の土地を大阪市に寄付され、天王寺公園の一部となりました。
名前の由来は伏見宮貞愛(ふしみのみやさだなる)親王から賜ったもので、初め「恵沢」の名を用い「照代え恩恵、祖先の余沢」の意よりでたもので、大正7年5月「慶沢園」の字に改められました。
慶沢園は林泉回遊式庭園で、総面積は8000㎡だそうです。
慶沢園の池には大小3つの島が浮かび、池の周囲の林間をめぐる近代日本庭園で、深い緑につつまれ、風情ある名木名石が巧みに配されています。
「黒田藩蔵屋敷長屋門」
天王寺公園の中にある旧黒田藩蔵屋敷長屋門は、筑前(現在の福岡県)52万石の蔵屋敷長屋門で、元々は中之島の渡辺橋西詰西側にありましたが、1933年(昭和8年)の中之島三井ビル建設に際し、三井が大阪市に寄贈したものです。
この長屋門は江戸時代中期の蔵屋敷遺構を残す貴重なもので、俗に「後藤又兵衛あかずの門」とか「源蔵門」とか呼ばれていたそうです。
昭和8年(1933年)中之島三井ビル建設の際、長屋門は美術館の南通用門として移築されたそうです。