今年はトルコと日本の友情の礎となったエルトゥールル号遭難から125年目にあたります。
先日、これに合わせて、和歌山県串本町では「エルトゥールル号遭難」125周年記念事業が行われたことが報道されていました。
今日はこの遭難事故について調べました。
エルトゥールル号遭難事故は、1890年(明治23年)9月に和歌山県串本町沖でトルコ軍艦「エルトゥールル号」が沈没し、587人が亡くなった事故で、その概略は次の通りです。
「エルトゥールル号遭難事故の概略」
オスマン帝国(現在トルコ)の木造フリゲート艦エルトゥールル号は、日本の皇族小松宮夫妻のイスタンブール訪問に応えるためと、両国の友好関係の発展と相互理解を期待して派遣された艦船で、1889年(明治22年)7月、イスタンブールから11ケ月をかけ、1890年(明治23年)6月に日本に到着しました。
一行は皇帝親書を明治天皇に奉呈し、オスマン帝国最初の親善訪日使節団として歓迎を受けました。
そして3ヶ月余後の1890年(明治23年)9月16日夜半、帰路に着いたエルトゥールル号は折からの台風による強風にあおられ、和歌山県串本沖、大島の樫野崎に連なる岩礁に激突しました。
座礁したエルトゥールル号は機関部が浸水して水蒸気爆発を起こして沈没、司令官オスマン・パシャを始めとする乗組員587名が死亡または行方不明となる大惨事となりました。
このとき、樫野崎灯台下に流れ着いた生存者は、十数メートルの断崖を這い上って灯台守に遭難を知らせました。
灯台守から通報を受けた大島村(現串本町)樫野の住民たちは総出で救助と生存者の介抱にあたりました。
漁業で生計をたてている村人たちは貧しい生活をしており、台風で出漁できず、食料の蓄えも僅かでしたが、それにもかかわらず、住民は浴衣などの衣類、卵やサツマイモ、それに非常用のニワトリにいたるまで供給するなどして、献身的に生存者たちの回復に努めました。
この結果、収容された69名が救出され生還することが出来ました。
遭難の翌朝、事件は樫野の区長から大島町長に伝えられ、町長は神戸港の外国領事館に救助を求めて生存者を神戸の病院に搬送させるよう手配すると共に、県を通じて日本政府に通報しました。
知らせを聞いた明治天皇はこの遭難に大いに心を痛め、政府として可能な限りの援助を行うよう指示したと伝えられています。
こうして遭難者に対する支援が政府をあげて行われ、10月5日に品川港から出航した日本海軍の「比叡」「金剛」2隻により、生存者たちは翌1891年(明治24年)1月2日にオスマン帝国の首都イスタンブールに送り届けられました。
エルトゥールル号遭難事故はオスマン帝国に大きな衝撃を呼びましたが、新聞を通じて大島島民による救助活動や日本政府の尽力が伝えられ、当時のトルコの人々は、遠い異国の日本と日本人に対して好印象を抱いたといわれています。
今年12月にはエルトゥールル号遭難事故と両国の友好の歩みを題材にした両国合作映画「海難1890」(東映配給)が内野聖陽主演、ヒロインには忽那汐里、他にケナン・エジェ、小澤征悦、宅間孝行などのキャストで全国公開される予定です。
どうぞご期待ください。