回転寿司
今年、小学校1年生の孫は回転寿司が好きで、連れていくととても喜びます。
でも、孫が食べるのはいくらとサーモンだけで、同じものを何皿も食べています。
その回転寿司ですが、今ではすっかりお馴染みとなっており、日本全国は勿論、世界にも広がっているようです。
今日は日本の食文化の一つ、回転ずしの起源について調べてみました。
回転寿司のルーツは、昭和33年(1958年)4月に大阪府布施市(現東大阪市)にオープンした元禄産業(株)の「廻る元禄寿司」です。
元禄産業(株)の創設者であり、回転寿司の生みの親である、故・白石義明(元会長)がビール工場の製造に使われているベルトコンベアにヒントを得て開発した「旋回式食事台」が回転寿司の始まりのようです。
関西を中心に知名度を上げていた元禄寿司ですが、その名が全国に知られる大きなきっかけが昭和45年(1970年)の「大阪万博」でした。
元禄寿司は万博会場の西側入り口に出店していたようですが、システムの物珍しさから、日本人だけでなく外国人からも注目を集めたそうです。
この時、出店していたのはマクドナルドやミスタードーナツなどの有名外食企業でしたが、その中でも、元禄寿司は「電気自動車」や「動く歩道」などの近未来的な展示物と同様、未来を予感させる存在として一躍脚光を浴びたのだそうです。
万博後は元禄寿司に、マスコミや事業者などから問い合わせが殺到したと言われています。
回転ずし業界は、2000年代になると、郊外型で100円寿司を売りにした「大手100円均一回転寿司」と、一皿数百円以上の寿司を提供する「グルメ回転寿司」の二極化が進みます。
「100円寿司」はターゲットをファミリー層にして、ボックス席を増やし、子どもが楽しめるような仕掛けを多数作って業績を伸ばしていきました。
一方、「グルメ回転寿司」では、寿司の質を追い求めるようになり、食材はもちろん内装や装飾品、BGMにもこだわり、高級感を演出して、回転寿司ながら、大間(青森県)のマグロ一貫を1500円で提供する店もあったそうです。
2008年のリーマンショック以降、回転寿司業界では大手100円寿司チェーンの台頭が目立つようになりました。
特に、「あきんどスシロー」、「かっぱ寿司(現在は元気寿司の傘下に)」、「くら寿司」の勢いは凄まじく、2010年度決算で、売上での市場シェアは三社だけで55%を占めていたようです。
最近でも、平成26年3月期の売上高(シェア)は、カッパ・クリエイト933億円(26.6%)、くらコーポレーション881億円(25.1%)、アトム450億円(12.8%)で、上位3社の売上高は2264億円で64.5%のシェアを占めています。
しかし、昨年頃から100円寿司の勢いは衰え気味だとも言われているようです。
この傾向は、アベノミクス効果で日本経済がデフレから脱却し、消費者の意識が低価格路線から転換しつつあると言うことなのでしょうか?