らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

江戸時代の死刑制度

2015-06-19 | 雑学

昨日の夕刊に、2012年6月に大阪心斎橋の路上で男女2人が刺殺された事件で、殺人罪などに問われていた無職の礒飛(いそひ)京三被告に対する大阪地裁の裁判員裁判で、検察は死刑を求刑したとの記事が載っていました。

いま死刑制度の廃止が叫ばれていますが、内閣府の世論調査によると、死刑制度を容認する回答の割合が85.6%に達し、過去最高になったということです。
死刑を容認する主な理由としてあげられているもののひとつに、「凶悪犯罪は命で償うべきだ」というのがあります。理不尽に人の命を奪った者は、自分の命でその罪を償え、というわけです。
それも一理あるような気がしますが、理由はともかく、もし死刑制度が廃止されたら、殺人などの凶悪犯罪が増えそうな気がしてなりません。
私個人は死刑制度は維持すべきと考えています。

ところで、映画やドラマの時代劇を観ていると江戸時代の死刑(死罪)はもっと厳しかったようです。
そこで、江戸時代の死刑(死罪)制度を調べてみると6種類の死刑の方法がありました。
重い順に列記すると次のようになります。
・鋸(のこぎり)引き・・・・死刑のなかでも極刑とされ,江戸時代には主人及び親殺に対して科せられました。
               これは「1日市中引廻のうえ、首だけ箱の上に出して埋められ、二日間晒し者にされた後、小塚原か鈴ケ森の刑場で磔(はりつけ)にされました。

・磔刑(たっけい)・・・・・・関所破りや贋金(にせがね)作り、主人及び親を傷つけた場合に適用されました。
               市中引き回しの後、直ちに刑場に向かい、刑木に磔(はりつけ)された後、突き手が槍や鉾で20~30回突き刺します。
               そして2日間地面から頭部だけを出した形で埋められてさらされました。

・獄門(ごくもん)・・・・・・主人の妻と密通した者などが対象でした。
               斬首刑の後、死体を試し斬りにし、刎ねた首を台に載せて3日間(2晩)見せしめとして晒しものにする公開処刑の刑罰です。
               梟首(きょうしゅ)、晒し首ともいい、付加刑として財産は没収され、死体の埋葬や弔いも許されませんでした。

・火罪(かざい)・・・・・・・火焙り(ひあぶり)、焚刑(ふんけい)とも言い、放火犯が対象です。
               罪人を火であぶって死に至らしめることです。火焙りそのものは戦国時代より行われていましたが火罪として整えられたのは江戸時代に入って
               からです。

・死罪(しざい)・・・・・・・・斬首により命を絶ち、死骸を試し斬りにする斬首刑のことです。盗賊(強盗)、追い剥ぎ、詐欺などの犯罪に科された刑罰です。
               強盗ではなく窃盗の場合でも、十両盗めば死罪でした。
               また、十両以下の窃盗でも累犯で窃盗の前科が2度ある場合、3度目には金額に関わらず自動的に死罪となりました。
                             付加刑として財産が没収され、死体の埋葬や弔いも許されず、更に、罪状が重い場合は市中引き回しが付加されることもありました。

・下手人(げしゅにん)・・最も軽い刑罰です。斬首により殺害する刑で、他に付加的な刑罰は科されません。
               引き取り人がいる場合は処刑後に死骸を引き渡し、弔うことも許されました。刀剣の試し切りなどに使用することは認められていません。

なお、江戸時代、お白州で刑を言い渡される前に、「不埒に付き」と言われた場合には、百叩きや江戸払いなど比較的軽い刑で済みましたが、「不届きに付き」と言われたら、島流しか死刑判決が待っていたそうです。

今日は惨い内容になりましたが、これが江戸時代の死刑制度(死罪)です。
今後、時代劇を観る時の参考にして頂ければと思います。