赤松小三郎の構想は、「議会→内閣→官僚」であったが、実際に起こったことは「官僚→内閣→議会」であった。順番が真逆なのである。はじめに官僚政治ありき。内閣や議会は、維新志士による官僚独裁政治の本質を隠し、偽装するための外皮として後からとってつけたものなのだ。
議会を無視して維新志士たちが独走した23年の間に、官僚たちの「我は国家なり」の傲慢不遜な意識が形成された。その意識が後輩たちに連綿と引き継がれて現在にいたっている。後からできた内閣や国会なぞ、各省の官僚たちはそもそも「お飾り」程度にしか考えていなかった。今でもそうなのである。
. . . 本文を読む