西郷隆盛は国民主権を前提とした国民議会政治を支持していた。つまり赤松小三郎が島津久光に建白し、小松帯刀が積極的に推進し、薩土盟約にも盛り込まれた、国民議会の開設と新憲法の制定という路線を支持していた。この時点では、まだ西郷も赤松の考えに感化されていたのではないかと思われるのだ。注目すべきは、アーネスト・サトウが、西郷の国民議会論を「狂気じみた考え」として退けていることである。イギリスにとって、自らの言いなりになる独裁者が支配している傀儡政権が日本に樹立されることが、もっとも国益にかなうからだ。 . . . 本文を読む